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熊本地方裁判所 昭和50年(行ウ)6号 判決

当事者

別紙当事者目録のとおり

主文

別表(一)記載の原告らの本件訴えを却下する。

その余の原告らとの間において別表(二)記載の者が、それぞれ同表記載の申請日に、公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法に基づいて被告に対してなした水俣病認定申請についての被告の不作為が違法であることを確認する。

訴訟費用はすべて被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、原告ら

1  別表(一)および(二)記載の者(以下「原告ら」という。)が、それぞれ各表記載の申請日に、公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法に基づいて被告に対してなした水俣病認定申請についての被告の不作為が違法であることを確認する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二、被告

本案前の申立

1  別表(一)記載の原告らの本件訴えを却下する。

2  訴訟費用は同原告らの負担とする。

本案の申立

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一、請求原因

1(一)  原告らはいずれも、公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法(昭和四四年法律第九〇号。以下「救済法」という。)三条一項に基づき、被告に対して、それぞれ別表(一)および(二)記載の日に水俣病認定の申請をなしたものであり、被告は右各申請について認定または棄却の処分をなすべき義務を負うものである。

(二)  なお、原告宮島スミヨ(原告番号二六二番)は申請者亡宮島ツイの相続人であり、また原告らの中、死亡した者についての訴訟承継関係は次のとおりである。

(死亡原告)            (訴訟承継人)

○盛下七平(原告番号 五三番) 吉里ミツエ、正木ヤスノ、盛下直喜、盛下義人盛下平、盛下重敏、盛下藤夫

○土橋宗男(〃    八三番) 土橋宗秋

○生魚兼松(〃   一一三番) 生魚タカ、生魚隆義、生魚国彦、豊田ヒロミ

○森山チヨ(〃   二六一番) 山下スズ子、森山昭、鈴木スマコ

○上村米一(〃   二六四番) 上村テル子、上村博康、上村泰重、上村陽將、上村峯義、上村康博、上村博信

○井手ヨシ子(〃   二七八番) 松本智恵子、井手恵子、井手明、井手豊松

○川崎大十(〃   三〇〇番) 川崎キエ、川崎孟敦、和田清恵、川崎益三、川崎清、川崎澄子

○村上よね(〃   三二四番) 久木田エイ、正木サカ、福山チヨノ、前田スキエ、村上源作、村上清、宮島カノ、村上留義

○宮内善作(〃   三九二番) 宮内トミ子

2  しかるに被告は右各認定申請に対し、いまだに何らの処分もしない。

3  すでに本件認定申請のいずれについても、処分をなすべき相当の期間が経過しており、被告の不作為は違法のものである。

4  よつて原告らは本訴をもつて、被告の右不作為の違法の確認を求める。

二、被告の答弁および主張

1  本案前の主張

被告は、別表(一)記載の原告ら四八名に対し、同表の処分年月日欄記載の日に、処分結果欄記載のとおりそれぞれ認定または棄却の処分を行つた。

不作為違法確認の訴えは、いうまでもなく、行政庁の不作為が違法であることを主張するものであるから、訴訟の係属後であつても、申請についての処分が行われた以上、訴訟の目的は消滅し、訴えの利益を喪失するに至るものであるから、同原告らの訴えは却下さるべきである。

2  請求原因に対する答弁

(一) 請求原因1項(一)は認める。

ただし、左記原告らの水俣病認定申請年月日は次のとおりである。

(原告番号九番)森フジノ 昭和四七年九月二六日

(同   六六番)諫山タケヲ 昭和四八年六月二九日

(同   一〇〇番)緒方サメ 昭和四九年五月二九日

(同   一〇一番)吉野安馬 同年六月二五日

(同   二四六番)永井ヨシノ 昭和四八年七月四日

(同   二六四番)亡上村米一 同年八月二日

(同   二七〇番)森山チヨノ 同年九月二一日

(同   二七五番)上村テル子 同年一一月二〇日

(同   三八一番)浜田ヒサノ 同年八月三〇日

(同   四二二番)仲村妙子 昭和四七年一二月一八日

(二) 同2項につき、前記別表(一)記載の原告らに対しては、同表処分結果欄記載のとおり認定または棄却の処分を行つたが、その余の原告らに対して処分をなしていない事実は認める。

(三) 同3項の主張は争う。

3  被告の主張

(一) 水俣病認定義務の概要

水俣病認定の申請から処分までについて概説すると、まず申請人より認定申請書が熊本県公害部公害保健課(以下「公害保健課」という。)に提出されると、その記載および診断書等の添付書類に係る形式審査を行つたうえこれを受理するとともに、申請者に対し受理通知を行うことにより始まるが、水俣病の認定に関する処分を行うには、公害被害者認定審査会(以下「審査会」という。)の意見をきいて行わなければならない旨規定され(救済法三条一項)、また、水俣病の認定ないし審査の基準は、「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法の認定について」(昭和四六年八月七日環企保七号環境庁事務次官通知)において示されているところであるが、申請者が認定基準に該当するか否かについて審査会が審査を行うためには、審査のための資料を必要とすることはいうまでもない。

従って、被告としては、申請者の検診をして右資料を整える必要があるため、従来国民健康保険水俣市立病院に検診業務を委託していたが、申請者数の増加とともに、検診が同病院の能力を越える事態になつてきたので、その後同病院の医師および熊本大学医学部等の専門医師に委託して、昭和四八年七月同病院に付属して開設された健診センターで検診を実施することとし、かつその頃より、申請者数の激増に対処して検診を促進する見地から、医師による検診に先行し、医師の指導のもとに被告職員によつて疫学調査および予備的検査を行うこととした。

爾来、公害保健課では、検診を依頼することとなる熊本大学第一内科教室、同眼科教室、同耳鼻咽喉科教室等および各所属医師と打合せのうえ、検診計画をたて、右計画に基づき健診センターにおいて被告職員による疫学調査および予備的検査としての視力検査、眼球の滑動性追従運動検査、視野測定、純音聴力検査、語音聴力検査を行つてきた。

この疫学調査は、病歴、職歴、生活歴、家族の状況などについての調査であり、眼球の滑動性追従運動検査は、眼電位図により眼球の視標追従運動の障害を調べるもの、視野測定は、ゴールドマン量的視野計を用いて、特に後頭葉の視覚中枢の障害を判断するもの、純音および語音聴力検査は、オージオメーター、自記オージオメーター等を用いて難聴の鑑別を行うものである。

これら疫学調査および予備的検査のあと、知覚障害、言語障害、歩行障害、求心性視野狭窄、難聴、精神障害、振戦、けいれんその他不随意運動、筋強直等、また、胎児性、先天性の場合には、知能発育遅延、言語発育障害、咀嚼嚥下障害、運動機能の発育遅延、協調運動障害、流涎等脳性小児麻痺様の症状があるか否か、また、これらの症状が有機水銀の影響によるものであるかどうか、或いは他の疾患との関連はどうかなどを調べるため神経内科、眼科、耳鼻咽喉科のいわゆる主要三科の、また、必要によつては精神科、小児科等の専門医師による検診を行う。

また、この検診の際、血圧測定、血液・尿の一般検査を行い、医師の指示によつては頸部、腰部の平面、断層のレントゲン撮影、脳波検査、筋電図検査、心電図検査、知覚伝導速度検査、末梢神経生検法による検査等も行い、更に、健診センターに来所して検診を受けることのできない重症者、高令者等に対しては、医師が申請者宅に出向いて検診を行うこととし、検診を受けずに死亡した申請者については、遺族の意向により解剖のうえ病理学的検査を行う。

以上の検査終了後、各科医師においてこの検査資料に基づき審査資料を作成、整理して、公害保健課に提出し、被告は、これら資料の整備された申請者について当該資料を添付して審査会に諮問し、審査会の審査、答申を経て、その意見に基づき認定に関する処分を行うのである。

(二) 原告らについての手続進捗状況

(1) 現在、水俣病認定申請者については、熊本大学第二次水俣病研究班の検診資料、被告の実施した水俣湾周辺地区住民健康調査等、既に検診資料が存在する者或いは重症などによるくり上げ処理を要する者などを除き、原則として申請順に疫学調査、予備的検査、専門医師による検診、審査会の審査、認定または棄却の処分を行つている。

このうち、疫学調査、予備的検査は、もともと医師の検診時に医師自ら、また医師が補助者をして行わせていたものであるが、申請者数の激増に対処するため、医師の指導のもとに被告職員によつて実施することとしたものであり、その時期は医師による検診と同時に行うのが望ましいが、検診促進の見地から医師による検診に先行して実施している。

従つて、後述する昭和四九年九月以降の一般検診の停止後も、疫学調査、予備的検査は、水俣市立病院健診センターにおいて被告職員により続行し、予備的検査については、現在までに県外者、ねたきりの者などの例外を除き、原告ら全員を含む救済法による申請者全員(申請番号三、二六八番まで)終了し、疫学調査については、昭和五〇年四月二五日までに申請番号二、〇〇九番の申請者まで終了した。

しかしながら、昭和五〇年四月の審査会再開後は、審査対象者について既調査後の変化の有無を中心に疫学調査を行い、新規の疫学調査は同年四月二六日以降一時停止して現在に至つており、予備的検査についても同様に原則として新規の検査は行つていない。その理由は、右調査および検査が医師による検診と並行して行われることが望ましく、余りにも右に先行する調査、検査等は再度の調査、検査を必要とするなど必ずしも適当ではないので、当分の間停止することとし、医師による検診に合わせて必要の都度、原則として認定申請順に実施することとしたためである。

更に、審査は現在月間八〇名程度実施しているが、審査の対象者としては、審査資料の整つた者の中から、おおむね申請番号順に新規の者四割(約三〇名)、過去審査に付されたが答申を保留された後再検診の終了した者を再検診終了順に四割(三〇名)、新規の者で重症等によるくり上げ処理を要する者二割(約二〇名)を選んで審査に付している。

このような検診、審査の結果、原告らを含む全申請者について昭和五一年六月末現在、合計四、二五二件の申請に対し、八三九件につき認定、一四四件につき棄却の処分を行つた。

(2) 原告らは、昭和四七年三月二四日申請の申請番号四二三(申請番号は昭和四五年一月の認定業務開始以来申請順に一連である。)、原告番号四〇七の溝口多勢以降昭和四九年八月三〇日申請の申請番号三、二六一、原告番号四〇三の中村つるえまで、いずれも救済法により申請をした合計四一〇名である。

そして原告らのうち、すでに認定に関する処分が終つた者は前記四八名、処分ないし答申を保留している者は九五名、未審査者は二六七名であり、未処分者についてその手続きの進捗状況に応じ分類すると次のとおりである。

イ 審査のための資料が現在収集されていることなどにより審査会の審査に付することが可能な原告らは別表(三)ないし(五)の者である。

a 別表(三)記載の原告らは、過去において検診等を終了して審査に付したが、審査会において答申が保留され、再度の検診を行つたうえで再審査をすることとされ、既に所要の再検診が終了しているものである。(八名)

前述のとおり、審査は月間約八〇名が限度であり、すでに審査資料が整つた者の中からおおむね申請番号順に四割、保留、再検診終了者四割、くり上げ処理二割の割合で審査対象者を選んで審査に付しており、別表(三)の原告らは同じ条件にある申請者ら間の順に従い、昭和五一年七月および八月の番査会において審査に付することを予定しているものである。

b 別表(四)記載の原告らは、所要の検診等を終了したか、又は、水俣湾周辺地区住民健康調査若しくは熊本大学第二次水俣病研究班の研究に係る資料を使用することにより、審査に付することが可能な者である。(五名)

この原告らの審査は、おおむね前記aの原告らと同じ時期を予定している。

なお、このうち原告木下日出人は、昭和四九年八月に検診を予定していたが、同人が仕事の都合で沖繩県に長期滞在のため受診せず、よつて検診終了が遅れたため審査に付することも遅れたものである。

c 別表(五)記載の者は、申請後所要の検診を終了しないうちに死亡したため、熊本大学医学部第二病理学教室に依頼して、死亡後直ちに病理学的解剖を実施し、その解剖資料を現在同教室で作成中であり、右資料ができ次第審査に付するものである。(二名)

しかしながら申請後の死亡者(未認定者)は昭和五一年六月末現在二九名に達しており、同教室の能力としては月間二体の資料作成が限度であり、毎月の審査会においても、解剖の古い順に二体ずつの審査を行つているところ、承継前原告上村米一は八番目、同宮内善作は二六番目のため、処分までに今後約四か月ないし一年の期間を要する見込みである。

ロ 次に、現在、審査のための資料が収集されておらず、今後検診等を実施する必要のある原告らは別表(六)ないし(八)の原告らである。

a 別表(六)記載の原告らは、過去において検診等を終了して審査に付したが審査会において答申が保留され、再度の検診を行つたうえで再審査をすることとされ、いまだ所要の再検診が終了していない者である。(八四名)

これらのうち、原告田上信義は、昭和四九年九月検診を予定し通知を行つたところ受診を拒否したため、その後熊本大学第二次水俣病研究班の資料により審査に付したが答申が保留されたものである。

なお、これら審査会の答申保留者は、昭和五一年六月末現在五二六名(うち原告九三名)であるが、いずれも医学的に判断困難のため答申が保留されている。

一方これら答申保留者に対する再検診については、昭和五一年四月、熊本大学を中心に月間四〇名ないし五〇名程度を処理できる態勢で検診を再開したが、おおむね申請番号順四割(約二〇名)、答申保留者四割(約二〇名)、くり上げ処理二割(約一〇名)の割合で検診を実施することにしており、原則として保留になつた順番に従い月間二〇人程度の再検診を実施している。

このように、答申保留者については現在月間約二〇名の検診が限度であり、従つて、当然再審査も同様二〇名程度が限度となり、処分まで更に期間を必要とすることはやむを得ない。

b 別表(七)記載の原告らは、疫学調査および予備的検査は終了しているが、各科医師による検診の全部または一部が終了していないものである。(八〇名)

これら医師の検診については、右に述べたように月間約三〇名の処理が限度であり、これら原告らの検診が終了するまで更に期間を要するのはやむを得ないところである。

c 別表(八)記載の原告らは、疫学調査および予備的検査の双方またはいずれかが終了しておらず、また、各科医師による検診も終了していないものである。(一八一名)

このうち原告福山敏行(原告番号二〇六)は昭和四九年一〇月、同山下久美子(同二八〇)は昭和五〇年五月、同田上英子(同二九二)は昭和四九年九月、それぞれ検診の実施を通知したが、いずれも受診しなかつたものである。

なお、これら原告らの疫学調査ないし予備的検査の未了理由については、前記(1)に、各科医師による検診の未了理由については前記ロ、bに述べたとおりであり、これら原告らの調査、検査、検診が終了するまでに更に期間を要するのはやむを得ないところである。

ハ 別表(九)記載の者は、過去、審査会の審査に付したが、「わからない」との答申があり認定に関する処分を保留しているものである。(二名)

右の者は本来認定の基準に合致しないため、棄却処分もやむを得ないものであるが、このように医学的に判断できない事例については、現在環境庁とともに行政的に画一的な処分基準を検討中で、そのためなお処分を保留しているものであり、このような措置はかえつて、これらの者の意思に合致するものと考える。

(3) ところで、今後の検診、審査、処分の見通しであるが、前記のように、昭和五一年四月に再開された検診態勢は熊本大学の医師を中心とするものであり、今後右態勢により月間約五〇名の検診を可能とし、また、審査、処分予定も、既に検診を終了している者らに対する当分の間の例外、月間八〇人程度を除き、原則として月間五〇人、且つ、今後一回の審査で答申および処分がなされ、答申保留による再検診がないものと仮定すれば、同年五月現在各原告らの今後の検診、審査および処分の見通しは別表(一〇)記載のとおりである。

(三) 右のように別表(一)記載の原告らを除くその余の原告らの申請に対し、被告が未だ処分をなすに至つていない理由は、

(1) 申請から処分までの手続が本来長期間を要するものであること

(2) 申請者数の著しい増加と検診および審査能力との関係

(3) やむを得ない事情により、審査会の審査が昭和四九年四月から昭和五〇年三月まで、また申請者に対する検診が昭和四九年一〇月から昭和五一年三月まで(但し、答申保留者に対する審査会委員による再検診を除く。)それぞれ停止したこと

など、やむを得ない理由によるものであり、本件につき不作為の違法があるとはいえない。

以下これらの点につき詳述する。

(1) 水俣病の認定に関する処分は、その医学的判断の困難なことから、本来かなりの長期間を必要とするものである。

イ 水俣病は、今日一般に「魚介類に蓄積されたメチル水銀を反覆して経口摂取することにより神経系を侵害され、特有な症状を発現する水銀中毒」と考えられており、救済法時代に同法における水俣病の認定基準を示した、昭和四六年八月七日付環境庁事務次官より被告宛「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法の認定について(通知)」と題する書面中にも、水俣病認定の基準として、「水俣病は、魚介類に蓄積された有機水銀を経口摂取することにより起る神経系疾患であつて、次のような症状を呈するものであること、(イ)後天性水俣病 四肢末端、口囲のしびれ感にはじまり信語障害、歩行障害、求心性視野狭窄、難聴などをきたすこと、また精神障害、振戦、けいれんその他の不随意運動、筋強直などをきたす例もあること。主要症状は、求心性視野狭窄、運動失調(言語障害、歩行障害を含む。)、難聴、知覚障害であること。(ロ)胎児性または先天性水俣病 知能発育遅延、言語発育遅延、言語発育障害、咀嚼嚥下障害、運動機能の発育遅延、協調運動障害、流涎などの脳性小児マヒ様の症状であること。」と記載されている。

そして、現実に水俣病患者として認定されている人々に共通する水俣病の主要症状としても、求心性視野狭窄、難聴、運動失調(言語障害、書字、釦どめ、マツチつけ、水呑みなどの日常諸動作の拙劣、指々、指鼻試験等の拙劣)、振戦、表在知覚障害(触覚、温覚、痛覚等の鈍麻、異常知覚)、深部知覚障害(圧覚、運動覚、位置覚、振動覚、識別覚等の障害)などがあり、これら主要症状は、有機水銀中毒症状として常に引用される、いわゆるハンター・ラツセル症候群の主徴と概ね一致する、とされている。

しかしながら、右ハンター・ラツセル症候群は、一九四〇年(昭和一五年)に、ハンター・ボムフオードおよびラツセルにより、英国の抗真菌剤の製造工場において沃化メチル水銀、硝酸メチル水銀、燐酸メチル水銀の取扱い中、吸引または経皮的にこれを摂取した労働者一六名のうち四名にみられたメチル水銀中毒症例として報告されたものを指すが、水俣病の場合は、魚介類に蓄積されたメチル水銀を人が反覆して経口摂取することにより発生するもので、中毒に至る態様、対象者の範囲、摂取量等の種々の面でメチル水銀を吸引または経皮摂取したハンター・ラツセル症候群の事例とは大きな差違があり、水俣病患者には、右ハンター・ラツセル症候例の一部しか示さないものがある反面、それ以外に種々多彩な症状を示すものがある、といわれている。

ロ そして、これら水俣病の主要症状のあらわれ方としては、普通型、急性劇症型、慢性刺戟型、慢性強直型のおよそ四つの病型に分類することができるとされているが、ひるがえつて、右のような典型的定型的病例から非典型例、更に健康人へと連続する水俣病の場合、水俣病であるかどうかを診断する診断基準が確立されているかどうかについては、既に主張したとおり、水俣病が魚介類に蓄積したメチル水銀を経口摂取することにより生ずる神経系疾患という、我国ではじめて発生した有機水銀中毒であり、学問的に未解決の分野も少なからず、専門医学者の間で医学的な水俣病像そのものが未だ確立していない現状であり、結果的に、熊本、鹿児島、新潟、それぞれの水俣病認定基準の差異が云々されている状態である。

またこれに加えて、水俣病にみられる個々の症状は、他の多くの疾患でしばしば認められるところから、申請者の有する症状が有機水銀中毒によるか否かの判断が容易になしがたいという事情も存し、このような理由から、水俣病の認定にあたつては(一)に述べたような複雑な医学的諸検査が行われるのである。

そのため、水俣病の認定に関する処分は、本来かなりの長期間を必要とするものであるが、その期間は申請者の症状によつても異なるため一概にいえず、また後記検診・審査能力と申請者数との関係も関連して、その期間を特定することが困難である。

ハ 更に、具体的な場合については、特段の期間を必要とすることもある。例えば検診を終了して審査会にはかつても、審査会で更に精密な検査を必要と判断し、または、一定期間の経過をみたうえ再検診、再審査を行う必要があると判断して答申をひとまず保留する場合がある。ことに最近は水俣病の症状が明らかでないとか、老令あるいは合併症のため診断が容易につきがたい申請者が増加しているため、答申保留の件数も増加せざるを得なくなつた。

ニ 原告らは新潟における水俣病認定手続の現状をもつて、水俣病の診断が容易であるかの如く主張するが、我国神経内科学会のリーダーであり、現に新潟県公害被害者認定審査会の会長をし、同県における水俣病認定の検診、審査を担当している新潟大学神経内科教室の椿忠雄教授もその論文(「水俣病の診断に対する最近の問題点」神経進歩昭和四九年一〇月号)において、前述したような水俣病の医学的判断の困難性を認めているところである。

(2) 申請者数の増加と検診、審査能力の限界について

昭和四五年一月の水俣病認定業務開始以来昭和五一年六月末日までの月別認定申請数、処分数、処分状況等は別表(一一)、(一二)記載のとおりである。

右認定申請の状況をみると、申請者は、昭和四五年および四六年には月間平均九名および一四名であつたが、昭和四七年には月間平均三七名となり、更に昭和四八年には月間平均一六二名と著しく増加し、救済法が失効する昭和四九年八月末日までに、原告ら全員を含め合計三二四五件(申請取下げ等を除く。)の多数にのぼつている。

そしてその後の公害健康被害補償法(昭和四八年法律一一一号、以下「補償法」という。)による申請分を含め、昭和五一年六月末日現在では延べ申請件数合計四二五二名、未処分累積件数三二六九件となつており、被告としては、これらの申請に対して、早期に処分すべく努力してきたところであるが、被告の処理能力にはおのずから限界が存する。

イ まず、審査に必要な症状把握のための検診については、前述のとおり水俣病が特異な神経系疾患であるため、その診断には専門的かつ高度の学識を有する医師を必要とし、このため被告は、従来熊本大学の医師および水俣市立病院の医師に依頼をして検診を行つていた。しかしながら、大学の医師は、本来、教育・研究の業務を有しており、また病院の医師も一般外来および入院患者の診療に従事しているため、水俣病の検診に割き得る日数にはおのずから限度があつた。

更に、熊本県は、水俣湾周辺地区住民の健康状況を把握し、住民の水俣病に対する不安感を解消するとともに今後の保健対策に資することを目的として昭和四六年度から四九年度にかけ、水俣湾周辺地区住民健康調査を行い、また、熊本大学へ委託して行つた「一〇年後の水俣病に関する疫学的、臨床医学的ならびに病理学的研究」により指摘された有明海の水銀汚染問題に関し、同海および八代海(北部)沿岸住民の水銀汚染による健康被害の状況を把握し、住民の保健対策および水銀汚染対策に資することを目的として、昭和四八年度に有明海、八代海沿岸住民健康調査を実施したため、限られた専門医師にこれらの健康調査のための検診をも委嘱せざるを得ず、水俣病認定のための検診はその面からの制約も受けざるをえなかつた。

そのほか、認定申請者の現住所が熊本県はじめ二六都府県に及んでいるという事情、或いは検診に従事する医師のほとんどが熊本大学の医師であるが、患者発生地が主として水俣・芦北地域であり、検診のためには熊本市より右地域まで自動車で往復約五時間を要し、したがつて、一日当たりの検診数も少くなるという事情も検診の制約となつている。

右のような諸事情のもとで、被告が昭和四七年四月以降後記集中検診直前の昭和四九年三月までに行つた検診の実績を、いわゆる主要三科についてみると、月間平均昭和四七年度は神経内科23.5名、眼科17.3名、耳鼻咽喉科20.4名、昭和四八年度はそれぞれ28.9名、40.3名、37.2名となつている。(これは、当時被告の行政努力で専門医師に委嘱して行い得た検診能力の限界を示しているということができる。)

ロ 次に、審査会は、昭和四五年一月発足の第一期審査会、昭和四七年四月発足の第二期審査会とも、水俣病に関する高度の学識と豊富な経験を有する熊本大学、水俣市立病院等の医師計一〇人の委員により構成されていた。

これらの委員は、大学での教育・研究ないしは病院での診療等本来の業務を有しているので、審査会の審査に従事しうる時間にはおのずから限界があるのであるが、審査会の審査に関してみても、ほとんどの委員は、単に審査を担当するだけでなく、審査の資料を得るための検診に従事しうる医師の数が限られているところから、その検診にも従事する必要があつた。

更に、委員の大半、特に第二期審査会においては委員全員が鹿児島県の認定審査会の委員をも兼任しているという事情もあつて、以上のような事情から、審査会は二箇月に一回、各二日開催することが限度であり、また、一回の審査会において審査しうる限度は最大限に見ても八〇件程度であつた。

(3) 検診、審査の停止とその再開について

ところで、審査会は昭和四九年三月二八、二九日に開催されたのち昭和五〇年三月に至るまで開催されなかつたため、被告は昭和四九年四月に処分を行つて以来、未開催の期間中には新たな処分を行い得ず、また検診も昭和四九年九月以降昭和五一年四月再開に至るまで殆ど行うことができず、そのことも認定手続遅延の原因になつているが、これらは次のようなやむを得ない事情によるものである。

イ 前述したとおり、昭和四八年頃から認定申請が急増し、未処分累計も同年一月四六三件、同年六月一三七八件、同年一二月二〇〇七件と順次増大して、従来のような検診、審査の方法では到底これに対処し得ない事態となつたため、被告はかねて本件の上級官庁である環境庁に対し認定業務を促進するための対策の検討を要望していたところ、両者の合意により、昭和四九年二月共同で水俣病認定業務促進検討委員会を設置し、同委員会をして検診等促進のための具体策を検討せしめることになつた。右委員会の委員の人選は、認定業務促進の隘路となつている検診等について、地理的、時間的制約から大学医学部を中心とする主として九州管内の医師に依存せざるを得ない関係上、そのような医師の協力を可能とする立場の者に委嘱することを基本に、環境庁と被告が共同で行つたものである。

ロ ところで審査会については、第二期審査会委員が昭和四九年四月九日で二年の任期が満了することとなるので、被告としては新たに第三期審査会委員を任命する必要があつたが、右のように促進検討委員会を設置し、検診促進のための具体策を検討中であつたので、その検討結果をまつて委員を任命することとした。というのは、審査会の審査と検診とは密接な関係にあるので、検診への各大学、病院の協力いかんと審査会の構成とはこれを関連させて検討する必要があつたからである。

しかるところ、右促進検討委員会は、委員の一人である九州大学神経内科教授黒岩義五郎を座長に選び、前後二回の会合で認定業務および検診業務について意見の交換をしたのち、昭和四九年四月一九日の小委員会において、後記のとおり九州の各大学および国立病院などの医師による検診班を編成し、同年七、八月に集中検診を行うという促進策をまとめた。

そこで被告はその集中検診の準備と並行して、審査の促進を図るための審査会の体制について検討を重ね、その結果、審査会は、①審査会回数の増加を図るため、各大学の助教授、講師クラスを主体として構成する、②検診と審査の円滑な連携を図るため、検診に従事した大学にも委員を委嘱する、③審査委員定数の制限を補充するため、新たに、専門委員の制限度を設ける、との方針を固めた。そして被告は、右の方針に基づき、同年六月以降具体的人選と就任交渉を行い、また審査会に専門委員を置くために必要な熊本県公害被害者認定審査会条例(昭和四四年熊本県条例六七号)の改正手続も同年八月末までに完了したが、委員への就任交渉が必ずしも円滑には進行せず、結局八月末、一〇人の定員中一人欠員のまま審査会を発足させることとし、一一月七日までに審査会委員及び専門委員の就任の承諾手続および任命手続を終了した。

ハ 他方、右促進検討委員会がまとめた検診促進のための具体的方策は、①九州管内の各大学等による検診班を編成して大学等が比較的時間に余裕のある同年七、八月に水俣市立病院健診センターにおいて集中検診を行う、②検診班の編成は、九州大学久留米大学長崎大学と鹿児島大学の合同熊本大学水俣市立病院と国立病院の合同とする、③各班の編成は、神経内科二名、眼科一名、耳鼻咽喉科一名とし、神経精神科は必要に応じ参加する、長崎大学と鹿児島大学の合同班および水俣市立病院と国立病院の合同班の眼科、耳鼻咽喉科については、熊本大学眼科、耳鼻咽喉科が極力協力する、④水俣市立病院と国立病院の合同班の検診は、各大学検診のスケジュールの合間に行う、⑤検診は、七月一日から実施するなどというものであつた。

そこで、被告は集中検診に対応できるよう健診センターの職員を増員し、また各大学等と検診計画を打合せるなど、諸般の準備を行つたうえ、昭和四九年七月一日から右促進検討委員会の提案どおり各大学等の医師に委嘱して集中検診を実施した。

右集中検診は従来どおりの質的正確さを確保しつつ、量的な促進を計つたものであり、その結果、従来の月間平均四〇名の検診に対し、七、八月の二か月間で内科四三五名、耳鼻咽喉科四一五名、眼科三六四名の検診を行うことができた。

このように集中検診は、内科、眼科、耳鼻咽喉科の主要三科につき月間平均二〇〇名で従来の月間平均四〇名の五倍に相当する実績であり、同年九月以降の検診については、七、八月の実施結果により更に促進検討委員会で検討することとなつていたが、被告としては、同年一二月までの検診計画につき、当時の衛生部本田公害審議員を同年八月二日九州大学神経内科、八月三一日久留米大学内科、眼科、耳鼻咽喉科、九月二日九州大学眼科、耳鼻咽喉科、国立福岡病院、九月五日長崎大学眼科、耳鼻咽喉科、内科、国立大村病院に出張させて、打合せを行うとともに、熊本大学各科と随時打合せ、また、鹿児島大学神経内科とは電話等で連絡の結果、概ねの了解を得ていた。

そして、被告は、当時右集中検診態勢による検診を続行することにより、集中検診後約二年程度でその頃滞留していた未処分累計二千数百件の殆どを解消し得るという見込みを有していたのである。

ニ ところが、当時申請者らの団体としては既に水俣病被害者の会(会長訴外隅本栄一、会員約九〇〇名)等があつたが、昭和四九年八月一日訴外川本輝夫、原告岩本廣喜(初代会長)、同佐藤巽、同宮本巧、同亡伊藤久義、同井川太二らが中心となつて新たに水俣病認定申請患者協議会(会員約六五〇名、以下「協議会」という)が結成され、水俣病問題については、加害企業である訴外チツソ株式会社のほか国や熊本県の行政対応に怠慢があるとして、その責任を追及し、会員らの納得しうる認定制度の改革を目指し、行動することが決議された。

そして、原告らを含む右協議会の会員は、同年八月二日約七〇名を動員して熊本県庁に至り、被告および公害対策局職員に対し、認定申請者全員に医療実費、雑費などの支給を内容とする救済措置を直ちに実施することのほか、同年七月一日以降実施中の集中検診が杜撰、乱暴であるとして、申請者側の検診カードに担当医師の記名捺印をせよ、集中検診の責任者および集中検診の資料により水俣病でない旨の判定がなされた場合の責任はどうかなどの点につき、つるし上げ的な大衆交渉を行つた。

これに対し、被告は協議会の要求する救済措置のうち、医療実費の支給についてのみ行政上の運用面で実現の可能性があるので努力する旨、また集中検診に関する申請者らの苦情については、申請者らの申出を大学等の医師側に伝え、改善すべき点があれば改善して行きたい旨を明らかにし、認定業務は被告職員が如何に努力しても専門医師の協力を得られない限り行い得ないこと、そして、熊本大学等の医師のみによる従来の検診方法では物理的に業務促進が不可能なことを説明し、協議会側の理解を求めた。

しかし、原告らを含む協議会は、これに納得せず、更に同年八月一二日、同月二九日、同年九月六、七日の三回に亘り熊本県庁に大量動員して、前同様の大衆交渉を行い、被告に対し、検診カードに担当医師の記名捺印をさせよ、集中検診実施の責任者および集中検診に従事した医師の氏名を明らかにせよ、集中検診は杜撰、乱暴、無茶苦茶であるから、このデタラメ検診の資料を審査会の資料に使用するな、などの要求をくり返し、被告側としても、検討のうえ、検診カードへの医師の署名捺印は行わないが、医師にネームプレートを着用して貰うことにより、被検者に名前が判るようにしたい、集中検診に従事した医師の氏名公表については、申請者らが押しかけたりして、爾後協力を得られなくなるおそれがあるので賛成できない、集中検診の資料は審査資料として使用するなどと順次対応態度を明らかにし、集中検診時の資料で水俣病でないとの判定があつた場合には直ちに棄却処分とせず、再度見直し検診を行う、という発言まで余儀なくされたが、この程度では協議会の容認するところとならなかつた。

そして、右協議会の抗議行動は当時新聞紙上に大きく報道され、広く地域社会に知れ亘つたものであり、殊に昭和四九年九月六、七日の交渉は、協議会々員約二三〇名と訴外川本輝夫ら支援者約三〇名、合計約二六〇名が熊本県庁に押しかけ、終始、罵声、怒号をあびせ、被告職員に自由な発言を許さない極めて喧騒、騒然たる雰囲気のなかで、六日午後一時半から翌七日午後五時半頃まで実に二八時間もの長きに及び、しかも、その間被告職員に対し灰皿が投げられたり、被告職員が暴行をうけるといつた事件、また、被告の公害対策局長が途中危険状態に陥つて倒れ、救急車により病院に運ばれる、といつた事態まで発生する異常なものであり、この徹夜交渉については、憂慮した熊本県議会において、暴力及び暴力的行為の排除を求める異例の決議まで行われた。

ホ 右集中検診に対する協議会の苦情のうち、医師が注射針で被検者の身体を血が出るまで突き刺したとか、不意に被検者を突き倒したとかいう、検診行為そのものに関する苦情については、被告職員が健診センターで調査した結果、そのような事実はなく、苦情の多くが被検者の医学的検査方法への無理解に基づくものと判断されたので、被告としては、前記協議会との交渉過程においても、集中検診はでたらめでない、この検診態勢は維持したい、との見解を明らかにし、被検者との間の信頼関係の回復につき医師側との協議を約束するとともに、申請者側にも協力を要請していたのである。

被告としては、前記促進検討委員会の結論に従い、右集中検診態勢により検診を続行するのが適当であり、且つそれ以外適切な認定業務促進の方策がなかつたため、前述したように、同年九月以降一二月までの検診計画を立てていたものである。

しかるに、原告らを含む協議会は、更に昭和四九年九月一一日付配達証明郵便により、同年七、八月の集中検診に従事した医師全員に対し、申入書を送付し、遂に各医師に対する直接行動を開始し、そのため、検診に従事した大学等の医師のほとんど全員から被告の衛生部公害対策局に対し、事態を憂慮し今後の検診の辞退を含めて連絡が寄せられ、検診の続行が困難となつた。

そこで被告としては、同年九月二四日から二六日までの間、衛生部川上公害対策局次長、本田公害審議員を九州大学、久留米大学、長崎大学、鹿児島大学に出張させ、検診医辞退についての意向を打診し、協力を要請したが、いずれの大学からも、検診医に対する誹謗(デタラメ検診)、申入書等にみられる責任追及の態度に対する強い不満とともに、引き続き検診に協力することは困難である旨が告げられた。

そして協議会は、更に、同年九月二六日被告に対し、合計一五〇名の名で検診医の診断書発給取次方を請求し、また、同年一〇月七日九州大学神経内科、眼科、耳鼻咽喉科の研究室、或いは病棟に押しかけ、検診に従事した医師に対し申入書受取の有無、及び内容についての回答を強要し、次いで同月一六日熊本大学第一内科の研究室、病棟に押しかけ、九州大学におけると同様な行為をし、同年一一月六日にも熊本大学第一内科、九州大学神経内科教室に押しかけ、同様な行為に及んだ。

以上のような経過を経て、熊本大学からは同年一〇月以降、他大学等からは同年九月以降検診への協力が得られなくなり、被告としても検診を中止せざるを得なかつたものであり、しかも、各大学等の検診医は、協議会の要求する検診カードへの検診医の署名捺印、診断書発給要求、申入書等の中止、大学病院への押しかけの中止を検診再開の条件とした。

ヘ 従つて、被告としては、原告らを含む協議会を始め申請者各派団体との話合いによつてこれら諸問題の解決に努力することとし、次項に述べるとおり話合いを続けて来たものであるが、一方、前記第三期審査会委員および専門委員の任命が手続的に終了したのは、昭和四九年一〇月二八日であり、被告としては、その後速やかに第一回の審査会を開催するため、同年一一月八日に審査会の招集を行つた。

ところが、原告らを含む協議会は、前記促進検討委員会の座長をした黒岩義五郎の公害病等に対する見解および実績に不信と疑惑があるとし、公表された第三期審査委員、専門委員の中に同人の教室出身者が含まれていたことなどから、これが患者切捨ての審査会体制であるとしてかねてその構成に反対の意向を表明していたが、右一一月八日開催予定の審査会当日には熊本県庁に約一〇〇名を動員し、被告に対し「黒岩義五郎氏の医学の名による恣楽、恣行によつて作られた認定審査会を直ちに解散せよ。」などとする申入書を手交し、また審査会場に乱入のうえ、各委員を取り囲み、突きつけた公開質問状に即答を迫る等の方法で行つた、計画的な審査会粉砕闘争により右審査会は流会のやむなきに至つた。(なお、支援グループの機関紙によれば、協議会の中心である各部落代表からなる世話人においては、あらゆる手を尽して行政を追及しつつも「審査会」については実力でその再開を粉砕し、認定制度を解体してゆくことを確認している、旨記載されている。)

審査会委員の任免権は法律上被告にあるとはいうものの、実質的には本人の協力による同意を得て就任を委嘱しているところであり、就任の同意をとりつけるのが容易でないことは、任命までに数か月を要している事実に徴しても明らかである。

そこで、被告は、右一一月八日の事態をふまえ、同日のような原告ら協議会の行動が続く限り、審査会の開催を強行しても、正常な審査会の運営は望めず、却つて審査委員の辞任を招くことが必至であるとの判断に立ち、公害被害者の医学審査という本来静穏且つ自由な環境裡に、永続的に開催すべき審査会について、申請者側の理解と協力を得るべく話合いを実施することにした。

当時申請者の団体は、協議会のほか前記水俣病被害者の会、水俣漁民家族の会(会長訴外藤川富士雄、会員約一五〇名)、明星会(会長訴外上原一男、会員約七〇名)、湯堂水俣病申請者の会(会長訴外岩坂教雄、会員約七五名)、茂道申請患者漁民の会(会長訴外田中正己、会員約一〇〇名)、公害に依る漁民被害者の命を守る会(会長訴外谷口岩義、会員約三〇名)などがあつたが、これら各派は、審査会流会後の同年一一月一一日以降、被告に対して、くり返し表現の相違はあれ、いずれも審査会への妨害を排除して審査業務の促進をはかることを申入れてきた。しかしながら、被告としては、申請者の全部でないとはいえ、前記協議会の反対を排除して審査会の開催を強行することは好ましくないばかりでなく、かえつて前記のような混乱や流会、更には委員の辞任を招くなどの事態が懸念されたため、各派との話合いを続けたものであり、この話合いは、昭和四九年一一月一九日から同二一日にかけての申請者各派団体との現地での話合いを始め、昭和五〇年二月七日環境庁橋本環境保健部長、竹中保健業務課長らを含めた水俣市水天荘における話合いなど、昭和五〇年四月一九日の審査会再開までに数十回に及んだ。

そして、この間、協議会を除く各派では審査会早期開催を望む声が一段と高く、協議会構成員の中にもそのような意向の広がりつつあることがうかがえるようになり、昭和五〇年二月二八日の協議会と被告との話合いおよびその際の協議会の声明文において、審査会の開催につきやむなしとする協議会幹部の発言等があり、協議会の実力による粉砕行動はないとの印象を得たこと、および他の申請者団体の早期開催の要望、或いは全申請者を対象にする審査会再開についての意向調査の結果、熊本県議会における要望等、審査会の早期開催についての気運が醸成されたため、昭和五〇年四月一九日開催に踏み切つたものである。

もつとも原告らを含む協議会と関西水俣病患者の会(会長訴外西川末松)は、前記第三期審査委員による審査会の再開の直前、同年四月一七日熊本県庁に約八〇人を動員して、うち四、五〇名が数時間抗議の座り込みを行い、また、再開された審査会においても、同月一九日開催の第一回(通算第二二回)以降ほとんど毎回、原告らを含む協議会々員および支援者らの抗議行動により審査未了或いは審査件数の減少等の事態が生じている。

卜 被告は、右のような経緯を経て、漸く第三期審査会を開催することができ、毎月一回、一回二日開催して八〇名の審査をすることを目標に、同年五月二三日、二四日の第二回審査会を皮切りとして以来実質審査が行われてきたのであるが、原告らを含む協議会は審査委員の構成に反対し、審査会の解散を主張して毎回審査会場に押しかけ、またこれに対抗して他の申請者団体も動員をかけるなど、審査会の運営に予断を許さぬ情勢が続いたので、当面、審査、答申および処分等申請者側の提起する諸問題につき、協議会を含む申請者各派団体との話合いを重ね、審査会の審理を軌道に乗せる努力を行つた。

このように審査会が再開され、既に検診が終了している者につき逐次審査が行われることになつたので、次の課題は検診の再開であつたが、熊本大学を含む各大学等の医師が検診従事を辞退しており、デタラメ検診との中傷や責任追及の行動が行われる限り、検診への協力は期待できない実情にあつた。

そこで、被告は、右申請者各派との話合いの過程で、検診問題についても再開のためには、その前提として協議会の医師に対する抗議行動、診断書発行要求、検診カードへの署名捺印の要求等を撤回することが北要であることなどを説明し、協力を求めたが協議会は依然熊本大学等以外の医師による検診に強く反対した。

しかし、いずれにせよ長期間に亘る検診停止のため、その早期再開を求める声が高まり、被告としても、審査会の審査が曲りなりにも軌道に乗り、昭和五〇年九月以降審査委員の手によつて答申保留者に対する見直し検診が再開されたのち、同年一〇月二〇日水俣市水天荘において、被害者の会、協議会を含む申請者団体九派の代表者らに対し、一般検診の再開計画案を示し、意見を求めた。

右被告の検診再開までのスケジュール概要は、同年一〇月までに申請者各派との話合いにより再開条件を整備し、一一月から一二月までに大学等医師側と再開についての協力要請をしたうえ具体的検診計画の打合せを行い、昭和五一年一月以降、熊本大学等の医師による検診を再開、同年四月以降各大学等を含めた態勢による検診を再開するというものであつたところ、これに対する申請者団体各派の主張は様々であり、結局各派とも熊本大学等以外の医師による検診は拒否するという終論が示されたが、協議会から医師の責任を追及するための前記諸要求を撤回する旨の明確な意思表示はなかつた。そして、原告らを含む協議会は、右話合い後の昭和五〇年一一月一七日訴外川本輝夫、原告緒方正人ら五四名が熊本県庁に来所して、被告に対し検診医の検診カードへの署名捺印、各科の診断書発給の要求をくり返し、協議会として右要求を撤回しないことを明らかにしたので、被告としては、検診再開の条件整備のため更に申請者側と話合う必要を生じ、その後も何回か話合いの機会をもつたが、昭和五一年一月一六日および同年三月二四日水俣市水天荘において、他大学等の協力による検診能力の増大を将来の問題として申請者側との一応の合意が成立するに至り、熊本大学との折衝を重ね漸く昭和五一年四月から検診の再開をみたものである。

被告としては、集中検診態勢を基本方針としつつも、申請者各派の意向、集中検診方式を実施するための他大学の協力の可能性や、実施した場合予想される事態等考慮した結果、結局、右熊本大学等のみによる再開とならざるを得なかつたものであるが、なおこの再開についても、熊本大学の関係各教室からは、これまでの申請者団体の抗議行動やトラブルが解決されない限り協力できないとの意思表示があり、前記一月一六日、三月二四日の話合いの際、熊本大学等による再開である限り協議会も従来の諸要求等を行わないとの意向が確認され、ようやくトラブルなく検診が実施できると判断されるに至つたため、これら実情を各教室に説明し、数度に亘つて協力依頼を行つた結果、実現に漕ぎ着けたもので、この時期に、且つ熊本大学等のみによる態勢で再開せざるを得なかつたのはやむを得ない事情であつた。

以上の次第で、検診再開は熊本大学を中心としたものであり、検診能力は月間五〇名が限度であり、集中検診以前の状態に戻つたものに過ぎず、今後検診数の増加に更に協力する必要があるが、熊本大学以外の各大学等の医師による検診については、未だ申請者側並びに大学等の側のいずれとも合意が成立していないものである。

(4) 原告らを含む協議会の行動による検診、審査の遅延について

イ 以上のように協議会が行つた様々な運動のため、昭和四九年九月、一〇月以降集中検診態勢の続行並びに熊本大学を中心とする従来の検診そのものをも停止せざるを得ず、同年一一月八日に開催予定の第三期審査会の初会合も流会のやむなきに至り、以来昭和五〇年三月まで審査会は開催不能となり、さらに右審査会並びに検診の再開にも種々の障害を生じたことは前記のとおりである。

本件水俣病認定業務のように、処分までの手続に申請者の協力を必要とする行政処分について、申請者自ら協力を拒み手続を遅延させた場合、それに起因する行政庁の不作為には違法性がないものというべきであるが、仮令個人として個々の手続に協力しなかつた事実がないとしても、申請者の団体が積極的に全体的な手続の阻害、遅延につながる行動を展開し、結果として個々の手続全体を遅延せしめた場合も、同様に行政庁に違法の責めがないというべきことは当然である。

被告としては、右協議会の運動による手続の遅延を、協議会会員を含む水俣病認定申請者全員との関係でやむを得ない事情、すなわち未だ処分に至らないことに違法性がないことの理由のひとつとして主張するものであるが、特に留意しなければならないことは、自ら手続を遅延せしめた協議会の会員である原告らとの関係では、第三期審査会の解散、検診医の検診カードへの署名、捺印、診断書発行、公開質問状への返答その他協議会の諸要求に関してとつた被告の措置が違法との評価をうけない限り、協議会の運動に対する被告の対応がどうであつたかを問わず、その責めはすべて原告らにあり、そのための手続遅延につき被告に違法の責めがないことである。

ロ 原告らを含む協議会は、右のような行動を展開した理由として、第三期審査会のメンバーによる審査の不当ひいて検診が患者切り捨ての体制であつたことを主張している。被告はもとより右主張を否定するものであるが、右のような、処分に至るまでの手続や処分の内容に関する不服についての司法救済は、究極的には行政庁の処分そのものに対する不服申立の過程においてなされるべきものであつて、不作為違法確認訴訟とはその制度本来の趣旨を異にするものである。

ハ 原告らは全員が協議会会員であるとみざるを得ない。

既に述べたように、協議会は昭和四九年八月一日訴外川本輝夫、原告岩本廣喜らが中心となつて結成されたものであり、現在その会員は約六五〇名と称されているが、会則案によると、役員として会長一名、会長補佐若干名、会計一名、会計監査若干名、各地域部落の実情により若干の世話役(または連絡役)を置き、会の運営を寄付とカンパで賄うことなど簡単な定めがあるのにとどまり、会員名簿等を備えているわけではなく、たかだか役員や各部落世話人等により会員の把握がなされている程度と推認されるものである。

してみれば、協議会の運動や行動に賛同し、協議会としての運動に行動を共にするものがすなわち会員とみて妨げないというべきであり、その場合、個々の具体的行動に参加したか否かを問う必要がないことはいうまでもない。

しかるところ、本件訴訟は協議会の行動の一環として提起されたものであつて、その原告である本件訴訟の原告らについては、前記の如き協議会の実態に鑑み、全員を前記意味での会員とみなざるを得ないのである。

(四) 認定業務促進のための被告の努力および申請者に対する医療費等の支給について

(1) 水俣病認定業務は、これまで述べたような種々の障害をともなう困難な業務であるが、被告としては熊本県における最重要課題の一つとして、その促進のため、予算、組織面等できる限りの努力を払つているところである。その主なものを挙げれば次のとおりである。

イ 認定業務を担当する被告の部課および職員数は、昭和四六年六月まで企画部公害課として、課長、同補佐各一名、担当2.5各、計4.5名であつたものを、同年七月以降衛生部公害課に組織替えし、課長一名、同補佐二名、担当2.5名、計5.5名に、昭和四七年七月以降衛生部公害対策局公害対策課として課長一名、同補佐一名、担当4.5名、計6.5名に、昭和四八年七月以降右公害対策課のまま、課長一名、審議員一名、課長補佐一名、担当五名、健診センター職員六名(うち三名は同年一〇月以降)、計一四名に、昭和四九年七月以降衛生部公害対策局公害保健課として、課長一名、審議員二名、課長補佐一名、担当七名、健診センター職員一六名、計二七名に、それぞれ組織の整備強化と人員の増員を計つてきた。また、予算面でも、昭和四四年度の認定事務費三〇九万六、〇〇〇円であつたものを、業務量の増大に対応して昭和四五年度二九五万一、〇〇〇円に、昭和四六年度七六六万四、〇〇〇円に、昭和四七年度一、八二五万一、〇〇〇円に、昭和四八年度二、五二三万六、〇〇〇円に、昭和四九年度五、五〇二万七、〇〇〇円に、昭和五〇年度八、六二一万一、〇〇〇円に各増額し、それぞれ県議会の承認を得た。

ロ 昭和四八年七月、熊本県の補助を得て、水俣市立病院に検診のための専門施設として健診センターを設置し、医師の負担を軽減して、検診促進を計るため、専門医師の指導のもとに被告職員の手で予備的検査を行うこととし、同センターにそのための職員を記置して、予備的検査を実施した。

右センターの職員は、当初三名であつたが逐次増員し、昭和四九年七月前記集中検診に対応するためこれを一三名(別に兼務職員一名)に増員し、昭和五〇年七月以降更に一六名に増員しており、なお、集中検診時以降別に臨時雇いの看護婦四名を雇傭した。

また、昭和四九年二月公害対策局に医療審議員として、医師である職員一名を配置し、当面、水俣病認定申請者中の死亡者に関する生前症状の把握、資料収集の業務を担当させるとともに、熊本大学第一内科教室に研究生として入局せしめ、将来検診のできる専門医師に育成すべく研究を行わせている。

ハ 昭和四九年二月には、検診業務の促進を検討するため、水俣病認定業務促進検討委員会を設置し、その具体策を検討せしめ、その結論に基づき、同年七月、八月に集中検診を行い、大幅に検診を促進した。

ニ 審査会開催回数の増加を図る観点から審査委員の人選を行い、各委員の承諾を得て、第三期審査会の発足以降従来の二か月に一回、二日開催を、一か月に一回、二日開催とし、また審査能力の拡大を図るため、条例の一部を改正し専門委員制度を設ける等の措置を講じた。

ホ 昭和五一年五月一日前記健診センターを水俣市立病院から切離し、熊本県水俣病検診センターとして独立させ、所長として新たに医師(審査会委員、前熊本大学医学部附属病院耳鼻咽喉科講師清藤武三)を発令したほか、同年七月一日には次長を発令するなど、合計一八名に増員し、その機能の充実を図つた。

(2) 医療費等の支給措置について

イ 救済法は、知事の認定を受けた者に対して、医療費、医療手当および介護手当を支給し、その救済を図ることを目的としているが、次にのべるとおり、被告は、未だ認定に関する処分が行われていない認定申請者に対してもほぼ救済法に準ずる医療費等の支給を行つている。

ロ すなわち、被告は、昭和四九年度水俣病要観察者治療研究事業要項に基づき昭和四九年四月から認定申請者のうち左記の要件に該当する者に対し、水俣病認定申請要観察者医療手帳を交付し、研究治療費等の名目で、医療費(自己負担分)、医療手当および介護手当の支給を行つている。

a 審査会の意見に基づき知事が医師の観察を必要と認めた者

b 審査会の答申があつて知事が認否の処分を留保している者

次いで、被告は、昭和五〇年一月から右医療費等の支給を受ける対象者として

c 行政不服審査法に基づく裁決において水俣湾周辺地区住民健康調査の第三次検診あるいは熊本大学医学部一〇年後の水俣病研究班の検診を受診していてその結果と補足資料を用いることにより、審査会に付することが可能であつたとの理由で不作為を認められた者および環境庁と協議のうえこれらの者と同一の条件にあるものとして別に定める者

を加え、更に昭和五〇年四月からは、前記事業要項を昭和五〇年度水俣病認定申請者治療研究事業要項に改め、前記aないしcの要件に該当する者の外に、

d 指定地域等に五年以上居住し、認定申請後一年以上経過している者

に対し水俣病認定申請者医療手帳を交付し、研究治療費等の名目で、医療費(自己負担分)、医療手当および介護手当の支給(但し前記dについては医療手当、介護手当を除く。)を行つている。

ハ しかして昭和五〇年四月以降未処分申請者の七割を越える者が右医療手帳の交付を受けている実情にあり、本件原告ら全員も既に右医療手帳の交付を受けている。

ニ このように未だ認定に関する処分が行われていない認定申請者に対してもほぼ救済法に準ずる医療費等の支給を行う理由は、昭和四八年から認定申請者が急増したのに対し、検診および審査の能力等に限度があるために知事の処分に長期間を要し、申請者に負担をかける状況になつたので、この申請者の負担の軽減を図ることにある。以上の処置に要するに認定申請中においても救済法による認定が行われたのと実質的に同じ保護を受けるということにほかならない。

(3) しかして、後述のとおり、不作為違法確認訴訟は、法令に基づく処分の申請があつた場合、行政庁が故意にこれを握りつぶすとか、或いは怠慢により処分を遅らせるという如き行政庁の不作為を違法として、その救済を図るものであるところ、被告は右のとおり、法律によつて創設された制度の下で可能な限りの努力を払つて認定業務を促進しているにもかかわらず、その能力の限界等から処分に長期間を要している実情に鑑み、認定申請者らの要望をもくんで、前記の医療費等を支給しているのであつて、この点よりするも、被告の不作為に違法性はないというべきである。

(五) 受診拒否者について

(1) 原告福山敏行(原告番号二〇六、昭和四八年六月二五日申請、申請番号一、六七七)は、昭和四九年一〇月眼科と耳鼻科の予備的検査のため健診センターに呼出を受けながら電話連絡で受診を拒否したので、同人についてはその頃予備的検査をなし得ず、結局昭和五〇年一一月に至つて右予備的検査が終了したのみである。

(2) 原告山下久美子(原告番号二八〇、昭和四九年一月五日申請、申請番号二、六六二)は、昭和五〇年五月眼科と耳鼻科の予備的検査のため前同様に呼出を受けながら受診せず、同人については現在何らの検査および検診も行われていない。

(3) 原告田上英子(原告番号二九二、昭和四八年六月一五日申請、申請番号一、四九五)は、昭和四九年九月眼科と耳鼻科の予備的検査のため前同様に呼出を受けながら、健診センター宛に、現在の審査体制のもとでの検診は受けたくない旨の文書を提出したまま、受診せず、その後昭和五〇年九月自宅訪問形式の疫学調査に応じたが、同人については現在右以外の検診は行われていない。

(4) 原告田上信義(原告番号二九一、昭和四八年六月一五日申請、申請番号一、四九四)は、昭和四九年九月眼科と耳鼻科の予備的検査のため前同様に呼出を受けながら、健診センター宛に、現在の審査体制のもとでの検診は受けたくない旨の文書を提出して受診せず、その後昭和五〇年九月自宅訪問形式の疫学調査に応じたが、同人については、すでになされていた熊本大学第二次水俣病研究班の資料により同年九月の第二七回審査会の審査に付し、答申を保留されたものである。

(5) 原告木下日出人(原告番号三九、昭和四八年四月二六日申請、申請番号一、〇四二)は、昭和四九年八月に検診を予定していたが、仕事の都合で沖繩県に長期滞在のため受診せず、同人については、結局昭和五〇年一月に疫学調査、予備的検査、同年二月に神経内科、X線、昭和五一年四月に精神神経科と脳波検査、同年五月に眼科と耳鼻咽喉科の各検診を行い、審査資料が整備したので、前述のとおり、今後同年七月または八月の審査会で審査に付される予定である。

以上のように、本件水俣病認定業務のように処分までの手続に申請者の協力を必要とする行政処分について、申請者である原告自らが協力を拒み手続を遅延させた場合、右に起因する行政庁の不作為には違法性がないことはいうまでもないところである。

(六) 本件訴訟における相当期間の解釈について

(1) 行政事件訴訟法の不作為違法確認訴訟は、いうまでもなく、行政庁が法令に基づく申請に対し相当の期間内に処分をすべきであるのに、その処分をしないことについての違法の確認を求める訴訟である。

つまり、行政庁は法令に基づく申請に対して相当期間内に処分をする義務があり、相当期間経過後の不作為は違法とされるのであるが、行政事件訴訟法三条五項にいわゆる相当期間の認定について、どの程度の期間が右相当期間であるかについては、当該申請により求められている処分の性質によつて一様でなく、同一性質の処分であつても内容により異なる場合があり、更に、処分自体の性質、内容のほか、申請者数の増減状況や行政庁の処理能力等の諸事情も含め、具体的事案に応じて個別的、合理的に決せられるべきことはいうまでもない。

このことは、不作為違法確認訴訟が行政庁の不作為に違法があるかどうかを訴えによつて決しようとする制度であり、その違法性存否の判断が中心にあらねばならないことから当然導き出される結論であつて、相当期間内かどうかも、そのような意味で右違法と評価される要素の有無により判断されなければならないのである。

ところで、この相当期間の判定に際し考慮されるべき事情の具体的範囲については、種々の議論があり得ようが、例えば、予算、人員或いは物的設備等の制約についても一般的に考慮されるべき事情のひとつとされているのであり、まして、本件の場合処分までに必要な中心的手続である検診および審査の双方につき、直接被告が命令強制のできない大学など限られた専門医師に委嘱して行わざるを得ないことや、その面からくる処理能力の制約等の事情が、本件における相当期間判定の重要な要素をなしていることについては、ほとんど疑問の余地がない。

(2) 原告らは、右相当期間を申請から処分までに通常必要とする期間である旨主張しているが、相当期間は原告らのいう通常必要な期間と同一の観念ではない。すなわち、相当期間は行政庁がその期間内に処分をすることが義務づけられている期間であり、その期間経過後の不作為が違法であるのに対し、原告らのいう通常必要な期間は、仮に一定の時間的長さとして特定できたとしても、不作為が違法であるかどうか、いい換ええれば相当期間内かどうかを判断する一応の基準になるのにとどまるのである。

例えば、比較的定型的な行政処分で処分までに通常要する期間が特定できる場合、その通常要する期間を基準に、その期間経過後は他に正当化できるだけの特別の事情がない限り、不作為が違法となる、という判断方法をとることも可能であろうし、数少ない不作為違法確認訴訟の判例中には右の如き手法を用いた事例も存する。

しかし、この場合でも、通常要する期間経過後、特別の事情があつて不作為が違法といえないときは、相当期間は経過しているが特別の事情のため不作為が違法でないとなるのではなく、そもそも不作為違法確認訴訟における相当期間が経過していない、と解釈されるのであり、これは前記のように、処分の性質、内容などのほか、行政庁の処理能力等諸般の事情が相当期間自体の判定につき考慮されるべきこととされていることからも明らかというべきである。

そして、この解釈は更に、処分をなすべき期間が法律によつて明示されている場合であつても、そのような法定期間による義務づけは必ずしも国民に対する関係において義務を課すものではない。即ちその法定期間がひとつのめやすとして一応の判断基準になることは否定できないとしても、なお、不作為違法確認訴訟において処分が義務づけられている相当期間と同一視すべきではない(法定期間だけによることが無理な場合、他の要素を含めて相当期間の判定をすべきである)、とされていること(行政裁判資料二八号一七六頁以下参照)からも裏付けられるということができよう。

従つて、本件水俣病認定業務についても、被告の主張する処分自体の困難性や検診、審査ひいて被告の処理能力の限界等が右相当期間の判定要素となるのは勿論、本件の場合、昭和四九年四月第二期審査会委員の任期満了に際し、全体的な検診、認定業務促進の見地から直ちに第三期審査委員の任命手続をせず、同年六月から具体的な人選に入り、結局同年一一月八日発足の日まで審査会が空白となつたことなども前記特別の事情として同様に相当期間自体の内容をなしているものである。

もつとも、以上のような行政庁側の事情によらずして、申請者或いは第三者の行為が行政庁の不作為の原因をなし、または一因となつている場合、例えば、本件の原告らが個々の検診を拒否し、協力をしないため手続が進行しないとか、原告らを含む協議会が審査委員、検診医の構成に反対し、その具体的な運動の展開のため手続が進行しないなどの点は、或いは、相当期間とは別個に特別な違法阻却事由と考えることもできようが、仮にそのような事情だけが不作為の原因であれば、そのケースについては相当期間を論ずること自体意味がなく、端的に不作為が違法でないといつて差支えないのであつて、被告としては、このような事情も相当期間自体の要素として主張したいと考える。

(3) 右のように、原告らのいう通常必要な期間は、不作為違法確認訴訟における相当期間を判定する一つの基準となるものであるが、この通常必要な期間の内容もその前提条件をどのように考えるかによつて一定せず、本件水俣病認定業務を例にとれば、各申請者ごとに異なる判断の難易度、被告の検診や審査会の審査能力、申請者数の増減状況との関係等により著しい差異があるのである。

しかし、いずれにしても、不作為違法確認訴訟における右処分までに通常必要な期間とは処分の難易や申請者の数、対応行政庁の態勢等あくまで現実の諸条件をふまえたものでなければならず、本件の水俣病認定業務のように非常に困難な処分について、申請者が著しく増加している状況下に、そのような事情を全く捨象して、単純に一個の申請につき処分までに要する期間を想定したとしても、それは、いかなる犠牲を払つてでも行政庁に処分の義務ありとするか、行政庁に無限の能力を求めるということに帰し、到底右意味での通常必要な期間にはなり得ない。

(4) 以上のことは、不作為違法確認訴訟制度が認められている理由および不作為違法確認判決の効果を考えれば、より一層明らかである。

つまり、不作為違法確認訴訟は、法令に基づく処分の申請があつた場合、処分の必要がないとしてあえて処分を行わないとか、故意に握りつぶすとか、或いは怠慢により十分な理由がないのに処分を遅らせるといつた、行政庁の違法な不作為に対し、申請者にその不作為を是正するための救済方法として認められているものであり、違法確認判決確定の効果も、行政庁に対し何らかの処分をなすべき拘束力を生ぜしめるのが制度本来の趣旨なのである。

したがつて、原告らのいう通常必要な期間はもちろんのこと、行政庁に処分が義務づけられているいわゆる相当期間も、行政庁がその期間内に処分を行い得ること、換言すれば処分の可能性が当然の前提となつていなければならず、客観的に処分が不可能な場合、或いは怠慢その他違法と評価される要素なく、充分の行政努力を払いつつもなお処分を行い得ないような場合には、そもそもその不作為を違法とすべき余地がないのである。

(5) 本件水俣病認定業務については、昭和四八年頃から申請者数が急激に増加した結果、検診、審査会の審査能力との関係で処分が遅れるようになり、昭和五一年六月末日現在原告ら三六二名を含む合計三二六九名の申請者につき未だ処分に至つていないところ、もともと個々の申請から処分までの手続が複雑な医学的諸検査を経る必要があるうえ、審査会において容易に診断のつき難いケースが増える等種々の事情が重なつて、結局、個々の申請者につき処分までに要する期間の特定が事実上困難であり、原告らのいう通常必要な期間を特定することもできないのである。

しかしながら、前に述べたとおり、不作為違法確認訴訟では、行政庁が処分ないしそれに至るまでの手続を進めることが可能であるにも拘らず、怠慢その他違法にこれを行わないでいるかどうかが最終的に判断されるものと解するので、申請から処分まで通常必要な期間が特定できないからといつて、不作為の違法がないと主張できないわけではない。

(6) 右のとおり、被告としては、原告ら各自について右処分までに通常要する期間を特定して主張することができないのであるが、その理由を更に詳しく説明すると、まず、

イ 検診は、神経内科、眼科、耳鼻咽喉科の主要三科が必須であるが、申請者の状態により、そのほか小児科、精神神経科等他科の検査或いは特殊な臨床検査などを必要とする場合があるほか、右主要三科の検診でも要する時間に差異があり、結局、終了してみなければその時間的長さが特定し難いこと

ロ 検診を終了し、審査会に諮つても医学的判断が困難であるとして、答申を保留されることがあり、最近このようなケースが著しく増加していること

ハ 検診は、熊本大学等の専門医師に委嘱して行わざるを得ないが、医師の検診に従事しうる時間が一定せず、長期的に正確な検診人員数を見積り得ないこと

ニ 申請者数が著しく増加していること

ホ 前記のように検診、審査は原則として申請順に行うのであるが、申請者数が増加しているところに、検診、審査の双方共、答申保留者の再検診、再審査、および重症者等のくり上げ検診、審査を一定割合で優先させていることなどがその主なものである。

しかし、右意味での通常必要な期間にはなり得ないと解するけれども、原告らの中最も早い申請時である昭和四七年三月以降最も遅い申請時昭和四九年八月までの検診能力を、昭和四九年七、八月につき集中検診実績の月間平均二〇〇名、それ以外は主要三科の実績平均に近い月間四〇名、審査能力を二ケ月に一回、一回二日で八〇名、月間平均四〇名、各原告らの申請月末における未処分累計数を右月間検診能力数で除して得られる月数後に検診が終了し、検診終了後一か月後に審査に付し、直ちに処分できると仮定したうえ、重症者等のくり上げ処理の必要や、健康調査等既存データの使用予定を考慮せず、また、各原告とも一回の検診、審査で処分が決定するものとして、再検診、再審査によるくり上げ処理の割り込み、および昭和四九年四月以降の審査業務の停止、同年九月以降の検診業務の停止、或いは個別的受診拒否などの事情等も考慮せずに、各原告らのそれぞれの申請時における検診、審査(処分)の終了見込時点を計算すれば、別表(一三)のとおりとなる。

(7) 次に、昭和五一年六月末日現在、原告ら三六二名を含む合計三二六九名の申請者に対し未だ処分をしていないこと、およびこれら未処分者に共通するそのやむを得ない事由についてはすでに主張したところであるが、右やむを得ない事由のうち本件認定業務遅延の根本にあるものは、いうまでもなく、水俣病の医学的判断の困難性にある。

このことは、一応の検診を終了して審査会に諮つても、容易に判断がつき難いとして答申を保留されるケースが増加し、昭和五一年六月末現在未処分者合計三二六九名中、右答申保留者五二六名、うち原告ら九三名に及んでいることに端的にあらわれているが、この水俣病の医学的判断の困難性は、右審査の対象になつた個々人に対する判断の難しさだけではなく、各申請者に複雑な数多くの医学的検査が必要とされること、検診に従事しうる医師が大学等の少数の専門医師に限られること、被告としても直接命令強制のできないこれら大学等の専門医師に検診を委嘱せざるを得ないこと、検診医の実施できる診察の対象人員、検診能力に制約があること、申請者が増加しているところに、答申保留者の再検診を実施する必要が生じること等であり、これらが審査会委員の人選、任命および審査、その他本件の全般に密接な関連を有しており、原告ら協議会の行動による審査、検診の停止等についてさえ、この医学的判断の困難性が遠因にあると考えることができるのである。

(8) そして、本件水俣病認定業務は、公害による被害者に対し公費による医療費等の救済をするために行うものであるから、その救済目的に照らし、可能な限り速やかな処分がなされなければならないことはいうまでもない。もつとも、救済法や補償法は、大気汚染、水質汚濁など複数の原因が競合して発生する公害の被害者に対し、原因企業等の責任を明らかにすることが容易でないことから公費による救済を行おうとするもので、水俣病のように加害企業の責任が明らかな疾病を予定した立法でなく、現実にも、昭和四八年一二月以降水俣病認定者に対し同法等による医療費等を支給した事例は一件もなく、認定業務はもつぱら加害企業と被害者間の民事問題の解決のみに機能している実情にある。

しかし、いずれにしても、右救済法等の救済目的のためにする水俣病の認定業務が右のように遷延していることが問題であることは多言を要しないところであるが、ここで留意しなければならないことは、このことと不作為違法確認訴訟における違法とを厳密に区別して考えなければならないことであり、不作為違法確認訴訟における違法性については、既に述べたとおり、行政庁が十分な理由がないのに処分を遅らせているのかどうか、当該行政庁の人的、物的設備並びに相応の行政努力によつて処分が可能かどうかなどの点を基本に審理判断されなければならないのである。

本件のように行政庁側に責められるべき違法性がないのに、認定業務が遅延していることについては、公害病であつても疾病自体の診断が比較的容易なものはともかく、病像や診断基準が未だ十分確立していない水俣病のように困難な疾病で、且つ本件規模程度の申請者数を前提とする限り、それを審査会の医学的判断にかからしめる制度のもとでは、必然的に発生してくる問題であろうと思われる。

なお、被告としては、本件水俣病認定業務における様々な事態に対し、可能な限りの対応を行つてきたものであるが、事後的にみて、最善の方策であつたかどうか、例えば前記集中検診を実施するに当り、当時協議会は存在しなかつたが、既に存在していた水俣病被害者の会等申請者側に事前の理解を求めておくべきであつた、などの批判があり得るかも知れないが、この点も行政上の当不当の問題であつて、不作為違法確認訴訟における違法性とは直接的な結びつきはない。

三、被告の主張に対する原告らの反論

1  「相当期間」について

(一) 相当期間を決するに当つては、まず実体法たる救済法が、その法の構造上、一人の認定申請者につき、申請から処分に至るまでにどの程度の時間が必要であるとして予定しているかが検討されなければならず、そのためには救済法にいう救済がいかなる性質をもつているかが踏まえられなければならない。

救済法の施行方法につき発せられた環境庁事務次官通知は認定業務が迅速になされるべきことを明示している。また救済法一条は「その者の健康被害の救済を図ることを目的とする」と定めているが、同法を改正した補償法一条は「健康被害に係る被害者の迅速かつ公正な保護を図ることを目的とする」と定めて救済法にいう救済が迅速になされなければならないことを明確化した。

また公害対策基本法は「公害対策の総合的推進を図り、もつて国民の健康を保護するとともに、生活環境を保全することを目的と」しておりその内容は公害発生の防止と発生した場合の被害の救済である。防止が一次で救済が二次である。すなわち二次的に健康被害が生じた場合に救済するというのである。この公害対策基本法の精神を具現したものとしての救済法は相当範囲に渡る著しい大気の汚染または水質の汚濁が生じた地域について、その影響による疾病にかかつた者に対し、医療費等の支給の措置を講じ、もつてその者の健康被害の救済を図ることを目的としている。

防止が主ということから考えれば万一被害が生じた場合の救済は迅速に行わなければならないことは理の当然というべきである。

この「迅速」がどの程度をいうのかについては、人の生命、健康が侵害された場合でもない生活保護給付につき、生活保護法二四条が原則として二週間とし、特別事情あるときでも三〇日内に処分を決しなければならないと規定していることが重要な参考例として考慮されなければならない。

(二) 「相当期間」は申請後五〇日間である。

救済法が具体的に水俣病認定業務のレベルで適用される場合、救済法はどの程度の期間を本質的なものと予定しているのであろうか。これを分析するに当つては、申請から処分に至る一連の手続の中で最も時間を要する検診にどの程度の時間を要するかを検討すべきであり、その為には同じ水俣病であり、救済法の諸規定が全く同様に適用されている新潟水俣病の実例を検討することが便宜である。

新潟における水俣病の検診は神経内科、眼科、耳鼻科の三科であり、特に必要な場合に整形外科、精神神経科の検診も行われる。(被告においても前記三科の検診が原則であり精神科、小児科等は必要に応じてなされているにすぎない。)

従つて検診必要時間は原則として三科によつて特定される。

そこで各科についてみると、神経内科は二回検診で一回約四〇分、計八〇分、眼科は予診四〇分、視野検査六〇分、計一〇〇分、必要に応じて電気生理学的検査と教授診察がなされ、それに最大限二四〇分かかると推定しうる。

耳鼻科は聴力検査九〇分、平衡機能検査六〇分、計一五〇分、必要に応じて嗅覚検査、味覚検査が行われ、それに計五〇分を要し、その他神経内科で必要に応じてレントゲン撮影がなされている。以上からすれば、原則的な検診に必要な時間は五時間三〇分である。その他必要に応じてなされる検診の所要時間は合計で二九〇分であり、その余の所要時間が証明されていない検診でも多くて二〇〇分あれば足りると考えられ、従つて検診に必要な時間は最大限でも一三時間四〇分で充分である。

従つて日単位で考えるにしても各科とも一日で検診は終了するのであるから、必須検診では三日間、必要に応じてなす検診を入れても五日間しかかからないのである。同じ水俣病の検診であるから、新潟と同様、熊本県における検診も、五日間あれば充分全ての検診を終了しうると考えることができる。

以上のことから申請後処分までの所要時間を積算すると、申請後の事務的手続に通常一週間を要するとして、検診には三日間、審査会が月一回開かれるとの前提に立ち、審査会直後に申請がなされたという最大期間を想定しても、合計五〇日あれば処分はなし得るのである。

かくして、認定申請をした各人にとつては、法は申請後五〇日間を経過すれば相当の期間が経過したものと予定しているというべきであり原告らにとつてもこの五〇日間が前提とされなければならない。そして原告ら全員について申請後五〇日はつとに経過しているのであるから、相当の期間は経過したものということができる。

(三) 大気汚染関係における相当期間

同じ救済法(および補償法)の他の適用地域においても通常処分に要する期間は五〇日間である。

(1) 川崎市における大気汚染による公害病認定申請から審査までの期間は最長で一四一日であるが、それは審査に必要な医学的検査を受診しなかつたケースであるから特殊ケースとして除外すべきであり、平均的期間は二一日間である。

そして保留となるケースは非常に少なく五〇年一月一四日から五〇年一二月二三日までの八〇一名の認定に対し、保留は七名にしかすぎない。従つて、処分に至るまでの平均期間が五〇日以内であることはまちがいない。

(2) 北九州市における大気汚染による公害病認定申請から審査までの期間は最長で、約六ケ月、平均で約1.5ケ月であり、従つてこの場合も同様に五〇日以内である。

(3) 四日市市における大気汚染による公害病認定申請から審査までの期間は、最長で1.5ケ月、平均一ケ月である。そして四日市市の場合、昭和四五年二月から五一年四月までの審査で一〇名が保留になつただけであるから、処分までの期間は五〇日以内であるということができる。

以上の通り同じ救済法に基づく他の指定都市における申請から処分までの期間はいずれも五〇日以内であり、法の構造上一般に五〇日以内に処分は出し得るとの原告らの主張が現実的基盤を持つていることを証明している。

(四) 被告の「相当期間」に関する主張の失当性

被告は、「相当期間」は、申請者数が著しく増加したこと、審査会が開催不能であつたことなどもその要素に入れて決しなければならないと主張しているが、その主張は主張自体失当である。

すなわち、相当期間の決定は、前述のとおり、法の趣旨と、その法が予定する処分に至る諸業務につき社会通念上、本質的に予定されている諸事項に要する通常期間の累計によつて決せられなければならず、かつ他方ではそれ以外の諸事情は考慮されてはならない。本件では法の精神たる迅速な救済を指導理念として、右に付帯するかあるいはこれらの為に必然的に付随する諸手続に通常要する期間の累計によつて決せられるのである。申請者数の増大、審査会開催不能等の諸事情は、制度そのものの本質的な要素ではないから、「相当期間」の構成要素として考慮されてはならないのである。さもなければ救済法(および補償法)が、熊本県の水俣病だけに適用されるのでなく、全国の指定疾病、指定地域に広く適用されるものであるのに、個別地域の特殊事情がそれぞれに入りこむこととなり、ために法がバラバラに適用される結果となつて、法の統一性が保ち得ないこととなつてしまう。熊本県だけの事情は普遍的に適用されるべき「相当の期間」の算定に当つて考慮されるべき事項ではあり得ない。また本件水俣病の医学的判断の困難性からくる検診、審査の困難性の故に、認定業務は、本来長期間を要するものであつて、その期間を特定することは出来ないとの被告の主張は、期間を具体的に特定して主張することをせず、これを回避するものであるから、その論理の必然として、不作為による違法の成立する余地を一般的に否定することに帰し、従つて、被告の右主張は全く無意味な主張という他なく主張自体失当である。

2  被告は、未だ処分に至つていない理由として種々の主張をしているが、いずれも処分の遅延を正当化するものではない。

(一) 申請者数の著しい増加により、検診、審査能力が限界に達したとの主張について

そもそも申請数の増大およびそれに伴なう検診、審査能力の限界については何ら原告らの関与し得る問題ではなく、従つてその責任も原告らに負わされるべきではない。

これにひきかえ、被告側は、審査会を設けそれに検診をなさしめ得る権限を持つているのである。また、申請者の増大は、短期間で急激に増えたということでもなく、昭和四五年、一〇三名申請、未審査七名、昭和四六年、一六七名申請、未審査一〇二名、昭和四七年、四三九名申請、未審査二四二名、昭和四八年、一九三九名申請、未審査一四三九名、昭和四九年、六〇五名申請、未審査四三六名という申請者数と未審査数の推移を見てもわかるように、未審査件数は、昭和四六年段階から一〇〇名を越えており、従つて累積未審査件数も加算式に増大していくことは明白なのである。そして水俣地域社会の魚介類を食べている者は全て罹患しているといつてもよい、水俣病の特質を考えれば認定申請をすることとなる水俣病被害者の絶対数がいかに巨大であるかは、水俣病発生メカニズムが解明された時点(昭和三七年)において明らかであつたのである。

従つて被告の右主張が処分の遅延を正当化するものとなる為には、被告が水俣病患者の実態を調査し、その実数を把握し、申請者数が増大することを予測し、検診体制を前もつて整備する努力を払つて来ているとの事実が主張、立証されていなければならない。なぜならば、その事前の努力は、被告の原告らに対する公法上の義務であるからである(地方自治法二条、同一四八条)。この義務が履行されていない以上この主張も主張自体失当である。そして事実は逆にその事前の努力をせず審査体制の整備をしなかつた被告の怠慢に、検診、審査処分の遅滞を引き起こした原因があるのであつて、そうである以上、益々被告の主張には理由がない。

すなわち、水俣病患者の発生は昭和四五年以降の問題ではないのである。昭和四三年九月に水俣病はチツソの廃液が原因であるとの厚生省、科学技術庁の公式発表がなされておりその以前、昭和三六年、熊大医学部により、チツソの廃液が原因であることが明らかにされ、更に遡れば食品衛生調査会が「水俣病は水俣湾の魚介類中のある種の有機水銀化合物による」と断定し、厚生大臣に答申し、昭和三四年一〇月、同委員会は有機水銀中毒説を発表、また同年七月、熊大研究班が原因は魚介類を摂取することにより惹起されているもので毒物としては水銀が極めて注目されると発表しているのである。

さらに患者の地域的広がりについては、昭和三四年に津奈木町、昭和三五年に出水市にそれぞれ患者が発見され、発症形態としても、昭和三七年、胎児性水俣病患者が発見され、不知火海一帯に潜在性水俣病患者が存在することの発表がなされていた。

従つて、被告は被害者の数が、非常に多数であることを予測し得たのであり、その正確な数を把握しようと思えば、新潟で行われたような一斉検診を、昭和四四年以前に行うことが充分できたはずなのである。しかし被告は、そのような対策を取らず、更には患者、医師、住民らが一斉検診を行うよう要求したにもかかわらず、その必要性はないと拒否し続けて来たのである。

そして昭和四四年になつても、一斉検診の必要なしと拒否し、昭和四六年五月になつてやつと患者らの再々の要求により、必要があれば実施するという態度に変じたのであつた。一斉検診の実施時期があまりにも遅すぎたのである。以上のことからすれば、申請患者の増大は、天変地異の如く予測不可能な事態ではなかつたものであり、それに対応し得ないはずはなかつたのである。それ以上に右事実に照らした時、被告は、被害者数が多いという事実を予測し得たが故に、その事実が明確になることを恐れて、一斉検診を実施しなかつたのでないかとの推測が出来得るくらいである。そのことは、救済法による申請手続の説明会が昭和五〇年になつて初めて開かれたという事実と合わせ考えた時、より確実なものとして言うことができる。

(二) 検診、審査医師の不足により、検診、審査能力が限界に達していたとの主張について

(1) 検診、審査医師の不足の問題についても、患者の増大さえ予測していたのであれば、十分それに備えた形で医師の養成はできたはずであるのに、被告は何ら対応策を取らなかつた。このことは、昭和四六年三月熊大医学部に第二次研究班が作られた際、被告が委託する以前に米国の学者が費用を提供して研究班が作られようとした経過があつたことからも窺い得るであろう。地方自治法二条に地方公共団体の事務として、住民の安全、健康を保持すること、(三項一号)が定められ、それを受けて「保健衛生に関する施設を設置」(六号)又「罹災者の救護」(八号)の義務規定が存することを考えれば、被告の水俣病の実態把握、必要医師の養成に対して取つた姿勢は、その義務に反するものであり、従つて患者の増加の結果、医師の不足が生じ、処理し切れないという被告の主張は全く正当性を有せず、かえつて自らに責任の存することを自白するものでしかない。

(2) 熊大医学部は水俣病の研究に関しては、最初の段階からたずさわつて来たのである。水俣病の原因究明、診断についても同様である。従つて検診および審査業務については熊大医学部を中心になされるべきであつたし、そうであれば、検診、審査体制は、よりスムーズに確保されたであろう。しかるに審査の点で言えば、被告は第二期審査会の任期が終了した時点で、法的根拠に基づかない認定業務促進検討委員会を作ることにより、実質的に専門医たる、熊大の立津、武内両教授を排除したのである。又検診の点については、被告は専門医の検診でなければ検診はし得ないと主張しながら、昭和四九年七、八月に集中検診を行い、その検診に、かつて水俣病の検診をしたことのない医師や経験の浅い医師を参加させたのである。(なお被告は集中検診にあたつて、形式ばかりの研修を行つたのであるが、その研修にすら参加しなかつた医師がいたという。)

水俣に各科一名の検診医を常置することが何故できなかつたのであろうか。そうすれば医師の不足による検診のおくれは生じなかつたはずである。すなわち各科一名の検診医を常置すれば三科の検診についてそれぞれ一日最低四名の患者を検診することができ、従つて、一ケ月二〇日間検診をするとして、八〇名、一年間に九〇〇名余の検診が可能である。そうであれば、かりに申請者数が増大したとしても、三名の検診医の足りないところを、他の医師が補充するということで十分足りることになり、検診医が不足するということはない。このことから考えれば検診医を常置するような態勢を作り得たのにこれを作らなかつた点に重大な手落があつたと言わねばならない。以上の事実よりすれば、被告の主張は何ら理由がないことが明らかである。

(三) 検診項目の多数、検診の専門性を根拠とした検診が困難であるとする被告主張について。

(1) 検診項目が多数あるとの被告の主張の趣旨は、項目が多数あることから検診に長時間を要するという点にあると考えられ、結局長時間を要するという主張の一つの事情として主張するものと解せられる。ところが被告は他方実際の検診に必要な時間についてその主張、立証をしていないのでありこの点重大な矛盾があるといわなければならない。

前述したように、新潟においては、基本の三科で、患者一人に五時間三〇分あれば足りるのであるから、いかに検診項目が多数あるとしても、検診困難なほどに時間を要するとする主張は根拠がない。

更に、新潟では検診は認定審査のための検診のみではなく、研究のための調査もふくんでおり、従つて認定審査のためだけの検診であれば、時間はもつと短縮出来るはずである。

更に申請患者の症状から言えば新潟よりも熊本の方が重いのであるから、認定審査のための検診項目は更に少なくて良いと考えられる。

次に、検診は専門的なものであるとの主張については、専門医によらない集中検診を被告自らが主体となつて行つた事実に照して、その主張には重大な自己矛盾がある。検診は高度の専門性が要求されるのではなく、むしろ資料収集の意味での経験と、症状を正確に把握するという予断のない検診態度が最も重要なのである。以上の理由から被告の主張は何ら根拠ないものである。

(2) また原告らの中には、申請から六ケ月以上経過しているにかかわらず、疫学調査、予備的検査すら行われていない原告がいる。両検査は医師による検査ではないから検診の専門性が困難性の根拠になり得ないことは明らかであり、従つて、これらの調査および検査の実施が著しく遅滞していることについては、医師の不足や検診の専門性等の弁解は一切成立せず、一に係つて被告自身の責任であることは明白である。

(3) 答申保留後の再検診の点についても、その状態をみると答申保留になつた原告らの中、原告尾上重太郎(原告番号一七四)、同川畑文子(同二七四)、同長尾フイノ(同二七九)、同田上信義(同二九一)、同溝口多勢(同四〇七)、同仲村妙子(同四二二)については眼科または耳鼻科の未検診が保留の理由となつている。これは被告の主張によれば最低基本三科を受診することが、審査にかけられるための必要条件であるのに、被告自ら未検診状態で審査会にかけていることを意味しており、これもまた著しい被告の自己矛盾というべきであつて、これらの原告らに対する処分が遅滞している責任は被告にあるものとしなければならない。

(4) また、答申保留になつた原告中、保留後再検診までに六ケ月以上経過している者が相当多数存在するが、再検診予定科目は多い者でも四科目であるから、一科目に一日要するとして四日間で再検診は終了し得るはずであり、これを六ケ月以上放置しておくことは、重大な違法と言わなければならない。以上のことから処分の遅滞は検診の困難性に由来するのではなく、被告の懈怠によるものであることが明らかであり、特に検診、再検診を六ケ月以上行つていない点は重大な違法があると言わねばならない。

(四) 類似疾患との鑑別判断の困難性に関する被告の主張について

(1) 被告は水俣病と類似疾患との鑑別が困難である旨主張しているが、水俣病であるか否かの判断は、非常に軽度の場合には診断に困難性が伴なうものの、熊本県の患者は重度の人が多く判断が困難な段階にまで達していない。

仮にもし判断が困難だとしても、原告ら全員に対して処分がなされないことの正当化事由になるものではない。なぜならば審査会にかけられて答申保留になつている者は、昭和五一年五月一日時点で原告ら中九二名にしか過ぎず、その他の原告らについては何ら正当性を有しないことになるからである。また、保留中の九二名にしても保留後六ケ月以上経過しているのに再検診もされず放置されている者がおり、これらについては前記と同様処分しないことの正当化事由があるとは考えられない。ましていわんや新潟においては保留後一ケ月以内に再検診を行い、その次の審査会で審査していることとの比較からすれば、右九二名の全員につき保留後一ケ月以上が経過しているのであるから、再検診が遅滞している点にやはり違法があるというべきでありここにおいても判断の困難性が処分遅延の正当事由であるという主張は根拠がない。

(2) また、答申保留の理由として、医学的判断困難があげられている場合(解剖に付せられた場合も同様)一見被告自身には法律上の責任はないかに見えるが、実はそうではなく、そもそも申請以来審査会に諮問されるまでの時間がどの程度のものであるかが検討されなければならず、右のような理由で答申保留となつた原告らについて、申請から答申保留までの期間をみると、最短の者でも一年を経過しているのであつて、その余の者について論ずるまでもなく、保留となつている原告ら全てについて、被告に違法な不作為があるといわねばならない。

(五) 審査会の開催不能との被告の主張について

被告は、審査会が開催できなかつた理由として①促進検討委員会による検診、審査促進の検討をしていたこと、および②協議会の抗議行動にあつたことを主張している。

しかし、以下の理由から、被告の右主張に正当性はない。

(1) ①については、促進検討委員会の設置についての法的根拠はなく、更に、その設置目的は認定業務の促進にあるとされるが、これを設置したからといつて、設置後の昭和四九年四月に、第二期審査会委員が任期満了したのに対し、第三期審査会委員を任命せずに審査会を設置しなくとも良いという理由にはならない。なぜならば、昭和四九年四月時点においても、必要な検診を終え、審査を受けるのを待つていた申請患者がいたからである。

この点について被告は、「審査会については、昭和四九年四月九日に委員の任期が満了したので、新たに委員を任命する必要があつたが、当時増大した認定申請に対処するため、促進検討委員会を設置し、検診促進のための具体策を検討中であつたので、その検討結果をまつて委員を任命することとした。というのは、審査会の審査と検診とは密接な関係にあるので、検診への各大学、病院の協力いかんと、審査会の構成とは、これを関連させて検討する必要があつたからである。」と主張している。

しかしこれは不可解な理由である。以上のような主張に理由がありうるのは、検診医が同時に審査委員である場合だけであろう。しかし、被告も認めているように、検診医と審査委員は全然別で、実際の審査は、検診結果を表に表わして審査委員が検討するという方式なのであるから、検診医を誰がやり、どこの大学病院が協力するのかということと無関係に審査委員の任命を行い得るのであつて、それより生ずる不都合は何もなく、従つて、昭和四九年四月から同年一一月迄の、審査会が設置されていなかつた期間は、被告が違法に審査業務を放棄していたこととなるのである。

また、そもそもこの促進検討委員会は何のためにつくられたのであろうか。

被告は認定業務を促進するためにつくつたと主張する。しかしながら昭和五〇年四月に審査を開始した審査会は昭和四九年三月以前の第一期、第二期審査会とその処理能力は殆ど変わるところがなく、また昭和五一年四月以降再開された検診は昭和四九年三月以前とその処理能力は殆ど変わるところがなかつたのである。歴史的事実として審査会は一年間開催されず、集中検診の大混乱と、患者の審査会に対する不信が醸成されたに過ぎず、何らの認定業務の促進もなく、ひとえに認定業務の「遅滞」が惹起されたに終つた。この事実は、被告が何故に右委員会をつくつたのか、その真の狙いについて重大な疑問を抱かせるところである。そもそも検診と審査との関係につき、仮に、検診は毎月四〇名しか実施できないから、従つて審査も毎月四〇名しかできないというように検診数が審査数を拘束するという関係が成立していたというのであれば、確かに被告主張のとおり、検診数の拡大化は審査数の拡大化につながり、従つて認定業務の促進に役立つといえ、集中検診という大量検診は認定業務を促進させることになつたといえるであろう。しかし被告は右関係が存在していたとの事実を主張立証していない。逆に昭和四九年三月までは審査会の審査数の枠が検診数を限定するという関係が存在していたのであるから、認定業務の促進のためには、右委員会としては、審査会の審査対象者の拡大即ち審査処理能力の向上をこそ検討すべきであつたのである。検診については被告の努力によつて検診医を増加するなどの措置により検診数を増加することが可能であるのに反し、審査会は法律の規定により委員の定員が一〇名と定められ、認定基準についても環境庁事務次官通知などの基準があることから、規律性が強く、結局審査処理能力の向上のためには、審査会の開催日数の増加の措置しかないと考えられる。とすればこのための検討にわざわざ大掛りに前記委員会を設立する必要は全くなく、被告において審査委員に対する手当支給額の増額等の方策を講ずれば充分であつたであろう。かくして右委員会は認定業務促進のために喫緊であつたとは到底理解し難く、全く別個の狙いのために設置されたとしか考えられないのである。

(2) ②についての被告の主張は、協議会のメンバー即ち原告らという前提に立つ主張であるが、これは明らかに事実に反し、理由のない前提である。

協議会の中に原告らの一部が含まれていることは事実であるが、全てが含まれているわけではなく、その者に対してはこの主張は当らない。

また、協議会が審査会に対して抗議行動を行つたのは、被告の責任によるものであつて、そもそも協議会の責任であるとするのは、とんでもないいいがかりである。

のちに協議会に加わることとなつた申請者らは、水俣病問題に臨む被告の態度には、一貫して被害者を迅速に救済しようという姿勢が欠如していることを痛感していたところ、昭和四九年二月に至つて九州大学医学部教授黒岩義五郎を座長とする認定業務促進検討委員会が設置され、黒岩教授がこれまで各地の公害ならびに企業災害に関して常に企業側に立ち被害者を切り捨てる業務に専念してきた実績に鑑み、水俣病の認定審査においても、いわゆる切り捨てを策すのではないかとの疑惑を持つたのであつた。

さらに同年四月はじめ、第二期審査会の任期が終了したにもかかわらずただちに第三期審査会が構成されなかつたことによつて、申請者らは被告が認定促進を称える真意について、より一層深い疑惑を持たざるを得なくなり、さらに加えて、右促進検討委員会が計画した七月、八月の集中検診において、検診医が前述したように水俣病の検診に従事したことがなく、また一部は事前研修にも参加しなかつた者が当つたこと、更に、検診の仕方がデタラメであつたことから、その検診結果についても申請者らは不安をいだいたのである。

右にいうデタラメとは「視力検査でレンズをかけても見えないと答えたら、そんなことがあるかと言つたり、視野検査の時に、絆創こうをまぶたに貼りつけてやり、そのまま一時間程貼り続けていた。又、それらの検査をやる前に何ら検査のやり方の説明がなされなかつた。」ことや、「視力検査の時、レンズをかけ1.5が見えなかつたのに検査表に1.5と書き込まれ、1.5の所は見えなかつたと言つたのに相手にしてくれず、又、視野検査の時、目を動かして見えた所を検査表に書き込み(視野検査は、目を動かさないようにして固視点を見ていなければ全く意味がない)、耳鼻科検査において、においがあまり分らなかつた時、非常に嗅いの強いものを急に近くでかがせるようなことをし、又、内科検診の時、はけ様の筆でさわられたが、腕のあたりが感じなかつたら、針で体全体を刺され、わからないと答えた所は何回か強く針で刺した。その結果、蚊の刺した跡のように赤く血がにじんだ。」こと等であり、このようにして一言でいえば、水俣病患者であることをなんとしてでも否定し去ろうとする態度が見られたため、申請者らは、集中検診は被害者切り捨てを策する検診であるとの確信をもつに至つたのであつた。

協議会は、そのような一連の経過に恐怖と怒りを感じた申請者らが、集中検診の実態を報告しあう集会がきつかけとなり、同年八月一日に発足したのであり、発足と同時に、それまでの被告の水俣病対策にかかわる怠慢、促進検討委員会の目的と性格、集中検診の責任の所在、さらに右のようなデタラメ集中検診の結果を審査会で資料として使うのか否かなどについて被告に問いただすなどの行動を開始したが、被告はそれらの疑問に対し納得のいく回答を行わず、申請者らの不安を解消すべき措置を一切取らなかつたのである。

さらに申請者らにとつてもつとも関心の深い審査会委員の人選が促進検討委員会の意見を重んじてなされるに至り、申請者らはいよいよ被害者切り捨てを策する黒岩体制が完成すると考え、審査会の人選に反対し、かつ集中検診によつて得られたデータを審査に使用しないよう被告に申し入れたのである。

こうして同年八月から一〇月にかけて、協議会から被告に対し再三にわたる質問、申し入れがなされたが、これに対して被告が何ひとつ明確な答えを示さないまま経過し、同年一一月八日審査会が開催されるはこびとなつたため、申請者らは審査会委員と直接話し合うことによつて疑問の点を明らかにせんことを期待し、医学者としての水俣病の考え方、検診の責任の所在を明らかにすることなどを求める公開質問状を手渡し回答を要求したのであり、現に水俣病についての考え方に関して各審査委員の見解表明は実現したのであつた。

これらの経過を見るに、協議会が審査会委員との話し合いを不可欠のものと考えるに至つたのは、促進検討委員会発足以後被告がとつた措置のひとつひとつが、申請者らをして、認定促進に名をかりた被害者切り捨て策にほかならないと思わしめるものであつたこと、および、被告が申請者らの疑惑を晴らすべき措置を一切とらなかつたことが原因である。

しかも、一一月八日の審査会においては、審査会委員と申請患者らの話し合いが行われ、その後の話し合いの継続や現地水俣視察などが約束されたことを見ても、「協議会の行動により、審査会は遂に開会に至らず流会となつた」という、いかにも暴力的に流会させたかの如き被告の主張が事実に反することは明らかである。

原告らは被告に比しその力関係において圧倒的に劣り、原告らの行為を目して物理的力を以つて審査会開催を妨害したなどというのは、度の過ぎた主張である。行政事件においても法の理念としてのクリーンハンドの原則の適用はあると解すべきであり、自ら審査会を開催すべき義務に違反していながら、原告らがこれを非難したからといつて、原告らに対し審査業務遅滞の責任を帰せしめることは許されない。

(3) なお、昭和四九年一一月以降の第三期審査会開催の遅滞については、救済法等に審査会委員は一〇名と規定されているにもかゝわらず、第三期審査会がこの規定に違反して、九名の委員で発足したものであつたことから、被告自身同審査会の法律上の有効性に疑念を抱き、残り一名の補充に時間を要するため審査会の開催を強行しなかつたのではないかとも考えられるのである。

(4) また、被告は検診業務に対する協議会の反対行動についても言及しているが、原告らは検診そのものに反対したことは一度としてない。そもそも原告らは救済を求めて認定申請しているのであるから、認定権限を有する被告が行う検診に反対するはずがない。ただ原告らは、被告が水俣病検診に未経験の医師により患者切り捨ての方向で患者無視の、いわゆる「集中検診」を行うことに反対したのである。

仮に百歩譲つて、被告が真実昭和四九年夏の段階で集中検診が最善の策であると信じたにしても、その後集中検診に問題があることがはつきりした以上は、せめても次善の策としての(熊本大学中心で、それがいかに月間四〇名程度の少人数しかできないものであれ)「検診」を直ちに再開すべきであつたのである。被告は常に次善、三善の策を欠落させている。促進検討委員会を創つたからといつて審査会発足を閑却に付し、集中検診にかかつたからといつて、それが順調に運ばなくなつてもこれに拘泥して「検診」を忘却してしまつている。原告らはこれこそが被告の違法な不作為であると主張しているのである。

3  認定業務促進のための被告の努力という点について

(一) 被告は右主張の中で審査会に専門委員制度を設け審査の促進をはかつているというが、専門委員はもともと、検診と審査とが分離された審査会での委員に就任することを拒否していた熊本大学の立津教授と妥協し、あわせて原告ら患者の同教授らを重視せよとの要求に応じて設けられた極めて妥協的なものである。その性質も審査の迅速化のために設けられたものではなく、権限としても審査会の決議には参加できない単なるオブザーバーにしかすぎないのである。

(二) また被告は、医療費等の支給措置を講じたことについて述べているが、本件訴訟においては原告らは処分に要する相当期間が経過しているのになお処分をしないことが違法であると主張しているのであるから、相当期間が経過しても処分をしないことがやむをえないとされる事由のみが被告の主張として意味を有するのであつて、処分が遅滞しているから代替策を講じているとの右主張がなんらの意味ももたないことは明らかであり、かえつて被告の右主張は処分が遅滞していることを自白しているものと理解されるのである。

第三  証拠〈略〉

理由

第一別表(一)記載の原告らについて

〈証拠〉によれば別表(一)記載の原告ら(但し、訴訟承継人については承継前原告)の申請に対して、被告は同表の「処分年月日」欄記載の日に、「処分結果」欄記載の内容の処分を各なした事実が認められ、右認定に反する証拠はない。およそ不作為の違法確認の訴えは行政庁の不作為を対象とする訴えであるから、すでに行政庁が当該申請にかかる処分をなした場合には、たとえ右処分が相当期間経過後になされたとしても、右訴訟は訴えの利益を欠き、却下を免れない。

第二その余の原告らについて

一別表(一)記載の原告らを除くその余の原告らについて検討するに、これらの原告(但し、訴訟承継人については承継前原告を、原告宮島スミヨについては亡宮島ツイをいう、以下同じ)が、それぞれ被告に対し救済法に基づく水俣病認定申請(以下本件申請という。)をなしたこと、その申請日が後記の原告諫山タケヲら九名を除き別表(二)の「申請年月日」欄記載の日であることは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、原告諫山タケヲ(原告番号六六番)は昭和四八年六月二九日に、同緒方サメ(一〇〇番)は昭和四九年五月二九日に、同吉野安馬(一〇一番)は同年六月二五日に、同永井ヨシノ(二四六番)は昭和四八年七月四日に、亡上村米一(二六四番)は同年八月二日に、原告森山チヨノ(二七〇番)は同年九月二一日に、同上村テル子(二七五番)は同年一一月二〇日に、同浜田ヒサノ(三八一番)は同年八月三〇日に、同仲村妙子(四二二番)は昭和四七年一二月一八日に、それぞれ本件申請をなしたことが認められる。(なお一件記録によれば、原告宮島スミヨが亡宮島ツイの相続人であることおよび死亡した原告らについての訴訟承継関係は請求原因1項(二)記載のとおりである。)

また、被告が原告らの本件申請に対して原告らを水俣病として認定するか否かの処分をなすべき義務のあることは救済法三条により明らかであり、かつこの点は当事者間に争いがない。

従つて、原告らの本件各申請後相当の期間の経過にもかかわらず、被告が何らの処分もしないときは、被告の不作為は特別の事情のない限り違法なものというべきである。

そして右原告らの本件申請について被告はいまだ何らの処分もなしていないことは当事者間に争いがない。

二そこでまず水俣病認定業務の経緯についてみるに、〈証拠〉および弁論の全趣旨によれば次の各事実が認められる。

1  水俣病は、昭和二八年末ごろに水俣市で原因不明の中枢神経系疾患として発生し、当初はその発生の実態が把握されぬままに推移したが、昭和三一年になつて、同様の症状を呈する患者が多数存在することが判明し、「水俣奇病」として実態調査や、態本県の依頼による熊本大学医学部「水俣病医学研究班」(第一次研究班)の原因究明が開始された。その発生地域は、はじめは水俣市の百間港から水俣湾周辺の一帯であつたが、昭和三四年ごろには北は熊本県芦北郡津奈木村(現津奈木町)、南は鹿児島県出水市等の隣接地域にまで拡がり、原因についても、前記熊大研究班の調査研究の過程において、セレン、タリウム、マンガンなど種々の原因が考えられたが、同年七月に有機水銀説が発表されて以後、水俣湾の貝からの有機水銀化合物の抽出、訴外チツソ株式会社(当時は新日本窒素肥料株式会社)水俣工場内からの有機水銀の検出などがあつて、昭和四三年九月二六日、政府の「水俣病はチツソ水俣工場のアセトアルデヒド製造設備内で生成されたメチル水銀化合物が工場排水に含まれて海中に排出され、水俣湾の魚介類を汚染し、その体内で濃縮されたメチル水銀化合物を保有する魚介類を地域住民が摂食したことによつて生じたものと認められる」との公式見解が出されるに至つた。

2  水俣病患者の判定については、昭和三四年一二月二五日に設置された水俣病患者診査協議会(後に水俣病患者診査会に、さらに水俣病患者審査会に改組)によつて行われていたが、昭和四四年一二月一五日に救済法が公布され、同法により、水俣病の認定は被告が公害被害者認定審査会(委員は被告が任命する)の意見をきいたうえで行うこととなり、本件のいわゆる水俣病認定業務が開始された。(以後現在までの認定申請および処分の状況は別表(一一)、(一二)に、審査会の開催状況は別表(一四)にそれぞれ記載のとおりである。)

右審査会は、熊本県公害被害者認定審査会条例の公布(同月二七日)の後、昭和四五年一月一四日に発足(第一期)し、この第一期審査会は昭和四七年一月一三日の任期(二年)満了までに別表(一四)記載のとおり八回の審査会を開いて、延べ一六一人(内六七人は救済法施行前の水俣病決定者について改めて審査したもの)の申請者について審査を行い、右審査に基づいて被告は一三三名につき処分を行つた。この一三三名から前記の六七名を除いた六六名について、その申請から処分までの期間をみると、最も短かつた者で一〇六日、最も長かつた者で20.5か月、平均では10.5か月である。

3  右第一期審査会では、昭和四五年二月二〇日に、従来の認定方法をまとめて、水俣病審査認定基準として、

「一 疫学的事項

(一) 水俣病発生当時、指定地域及びその周辺に居住していたこと。

(二) 有機水銀摂取の機会があつたこと。

(三) 過去に毛髪、尿中水銀が多量に証明されたこと。

二  臨床所見

A  求心性視野狭窄、聴力障害、知覚障害、運動失調

B  知能障害、性格障害

C  構音障害、書字障害、歩行障害、企図振戦

D  不随意運動、流涎、病的反射、けいれん

三  臨床診断

(一)  Aの四項目はもつとも重要であり、この四項目と疫学的条件がそろえば水俣病と診断する。

(二)  Aの四項目のない症例の判定には慎重を要する。

(三)  BはAに伴つていることが多いので、実際的には問題はないが、もしBのみの症状(Aを欠く)では、水俣病を診断するには慎重を要する。

(四)  Cは主として脳症状であり、Cのみを呈する場合には一応可能性ありとして要再検とする。

(五)  Dのみの症例は他の疾患の可能性が強い。

(六)  類似疾患を鑑別する必要がある。

例えば、糖尿病等代謝性疾患に伴う神経障害、動脈硬化症、頸椎変性症等に伴う神経障害、心因性症状等を除外すること。(以下略)」

と定め、この基準に基づいて審査を行つていたが、昭和四五年八月に、訴外川本輝夫ら棄却処分を受けた九名の申請者から厚生大臣に対して行政不服審査法に基づく審査請求がなされ、これについて昭和四六年八月七日環境庁長官による、処分取消し、差戻しの裁決がなされた。

この裁決では、救済法における水俣病の範囲には、神経系統における諸症状について他の原因がある場合であつても、当該症状の発現または経過に関し魚介類に蓄積された有機水銀の経口摂取の影響が認められる場合(臨床症状、既応症、生活史、家族における同種疾患の有無等から判断して影響を否定し得ない場合も含む。)も含まれるとの判断が示され、これと同時に出された「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法の認定について」と題する環境庁事務次官通知においても、水俣病認定の要件として、

「(1) 水俣病は、魚介類に蓄積された有機水銀を経口摂取することにより起る神経系疾患であつて、次のような症状を呈するものであること。

(イ) 後天性水俣病

四肢末端、口囲のしびれ感にはじまり、言語障害、歩行障害、求心性視野狭窄、難聴などをきたすこと。また、精神障害、振戦、けいれんその他の不随意運動、筋強直などをきたす例もあること。

主要症状は求心性視野狭窄、運動失調(言語障害、歩行障害を含む。)、難聴、知覚障害であること。

(ロ) 胎児性または先天性水俣病

知能発育遅延、言語発育遅延、言語発育障害、咀嚼嚥下障害、運動機能の発育遅延、協調運動障害、流涎などの脳性小児マヒ様の症状であること。

(2) 上記(1)の症状のうちのいずれかの症状がある場合において、当該症状のすべてが明らかに他の原因によるものであると認められる場合には水俣病の範囲に含まないが、当該症状の発現または経過に関し魚介類に蓄積された有機水銀の経口摂取の影響が認められる場合には、他の原因がある場合であつても、これを水俣病の範囲に含むものであること。

なお、この場合において「影響」とは、当該症状の発現または経過に、経口摂取した有機水銀が原因の全部または一部として関与していることをいうものであること。

(3) (2)に関し、認定申請人の示す現在の臨床症状、既応症、その者の生活史および家族における同種疾患の有無等から判断して、当該症状が経口摂取した有機水銀の影響によるものであることを否定し得ない場合においては、法の趣旨に照らし、これを当該影響が認められる場合に含むものであること。

(4) 法第三条の規定に基づく認定に係る処分に関し、都道府県知事等は、関係公害被害者認定審査会の意見において、認定申請人の当該申請に係る水俣病が、当該指定地域に係る水質汚濁の影響によるものであると認められている場合はもろちん、認定申請人の現在に至るまでの生活史、その他当該疾病についての疫学的資料等から判断して当該地域に係る水質汚濁の影響によるものであることを否定し得ない場合においては、その者の水俣病は、当該影響によるものであると認め、すみやかに認定を行うこと。」

と定め、有機水銀の影響が否定できなければ水俣病として認定するという内容の水俣病認定の基準が示され、以後は右基準に依拠して認定にかかる処分および審査が行われることとなつた。(なお、同年九月二九日に、右次官通知の意味について、「審査会は右認定の要件に従つて審査すべきこと、『有機水銀の影響によるものであることを否定し得ない』とするか否かは、水俣病に関する高度の学識と豊富な経験に基づいて判断すべきであり、その医学的判断をもとに認定に係る処分が行われる」、との環境庁企画調整局公害保健課長通知が出されている。)

4 前述のように、水俣病の原因の究明が進み、その発症のメカニズムが明らかにされて、政府の前記公式見解が出され、さらに昭和四四年五月に熊本大学武内忠男教授により不顕性水俣病の存在が発表されるなどの経過のもとで、水俣湾周辺地区住民の一斉検診の必要性が問題とされるようになり、住民団体などからも度々被告に対しその実施の要望が出されていた。これに対して被告は当初、水俣病の判定は難しく一斉検診をしても簡単に判定できない、他の疾病との鑑別も困難で、診断に熟練した医師も少ないなどの理由から消極的な態度をとつていたが、昭和四六年三月になつて米国の医学者からの資金提供の申出を受けて熊本大学医学部に住民検診を含む水俣病研究にとりかかるための第二次の水俣病研究班が結成されたことを契機に、被告が同大学に、水俣病の診断法・治療法・予防法の発見、確立に資することを目的としてその臨床医学的、疫学的、病理学的研究を委託することになり、同年八、九月に同研究班の手で、調査対象として選ばれた地区の住民検診が行われた。(この研究結果は昭和四七年、四八年の二年にわたつて「一〇年後の水俣病に関する疫学的、臨床医学的ならびに病理学的研究」と題して報告されたが、この中で、水俣病の疑いのある者が予想以上に多数であることが明らかになり、また後述する第三水俣病問題の発端となる有明地区の水銀汚染の問題が提起された。)

さらに右研究委託後も、各地で潜在患者の存在が明らかになり、住民の不安感がより一層高まつてきたため、被告は右研究班の調査とは別に水俣湾周辺地区住民の健康調査を行うこととし、昭和四六年一〇月からこれを実施した。

この調査では、水俣湾周辺の漁民を中心に約五万五、〇〇〇人を対象に、第一次検診としてアンケート調査、第二次検診として開業医による診察、第三次検診として熊本大学を主とする専門医師による精密検診が行われた。アンケート調査の結果では約一万二、〇〇〇人が第二次検診を必要とされ、昭和四七年末までに五、四六六人が第二次検診を受診して、その中の一、六三〇人(水俣病類似症状を有する者は一、三五四人)がさらに第三次検診を必要とする旨判断された。第三次検診は同年末から昭和四九年九月まで行われ、昭和五〇年八月に最終結果がまとめられたが、その結果によれば、水俣病およびその疑いのある者が一五八名、判断保留者三九八名、水俣病以外の一般的症状を有する者が六七八名という結論であつた。

また前記の熊本大学二次研究班の調査を通して、有明海の水銀汚染問題(いわゆる第三水俣病問題)が提起されたことから、沿岸の長崎、佐賀、福岡、熊本の四県が主体となつて、昭和四八年七月から昭和四九年三月までの間、沿岸住民一〇万人を対象に、右の水俣湾周辺地区住民健康調査と同様の方法で健康調査(熊本県においては約三万一、〇〇〇人を対象とした有明海および八代海沿岸住民健康調査)が実施されたが、この調査には、従来水俣病の検診に従事していた熊本大学や鹿児島大学以外の、右各県所在の大学や国立病院も参加して、水俣病検診の経験を積むことになつた。

5 一方、第一期の審査会は昭和四七年一月に委員の任期が満了したが、第二期の審査会は委員の就任交渉が難行したため、同年四月一〇日に遅れて発足した。

この第二期審査会では、申請者の増加と右発足の遅れから、すでに未処分件数が三〇〇件を越えて、申請後一年を経過した申請者が出たため、その当初から審査の促進が重要な課題とされ、第一期審査会が不定期開催であつたものを、二か月に一回、一回二日間の定期開催にあらためて審査件数を一回六〇人程度に増やし、答申内容についても五ランク(①水俣病である、または有機水銀の影響による、②水俣病の可能性がある、または有機水銀の影響による可能性がある、③有機水銀の影響の可能性が否定できない、④水俣病ではない、または有機水銀の影響は認められない、⑤わからない)に分類して、被告の認定作業の便宜をはかり、さらに昭和四八年三月の第一五回審査会からは、従前一緒に審査していた鹿児島県分を分離して、熊本県分だけの審査をすることにし、かつ一回の審査数を八〇件から一〇〇件に増やすなどして、任期満了までに一三回の審査会を開き、延べ八六六人の審査を行つて五九九人を答申し、被告はこのうち五九七人につき処分をなした。この中、申請から処分までの期間の最も短かつたものは八二日、最も長かつたものは20.5か月で、平均ではおよそ12.3か月であつた。

しかしながら、このような促進措置にもかかわらず、未処分件数は一向に減らず、かえつて健康調査などによる潜在患者の掘り起しが進み、当裁判所でのチツソ株式会社に対する損害賠償請求事件の判決が出されたことなどの事情もあつて、新たな申請者が激増し、特に昭和四八年六月にはひと月で五二〇件もの申請がなされ、未処分件数は同月には一、〇〇〇件を越えて一挙に一、三七八件になり、同年一一月には二、〇〇〇件に達して、処分の遅れは一層深刻なものとなつていつた。

ところで、審査会における審査で用いられる資料は、被告において申請者の検診を行つてこれを作成しており、認定制度の発足当初にはこの検診を水俣市立病院に委託し、同病院および熊本大学の医師らによつて疫学調査および医師による検診がなされていたが、申請者の増加により同病院のみでは対処しきれなくなつてきたため、被告は検診のための施設を新設することにし、昭和四七年度から予算を計上して、昭和四八年七月には水俣市立病院内に健診センターを併設した。それに伴なつて、従前医師による検診の際に行われていた眼科の視力検査、眼球運動検査、視野測定、耳鼻咽喉科の聴力検査、語音弁別検査等を分離して予備的検査とし、疫学調査とあわせて健診センターに配置された被告の職員が行うことにし、以後、検診は「疫学調査」、「予備的検査」、「医師による検診」という順に行われるようになつた。

右の中、医師による検診は熊本大学医学部および水俣市立病院の医師に委嘱して行つたが、いずれも本来の業務を有していて、その合間に検診をするといつた態勢であつたため、検診数に限りがあり(検診の実績についてみると、昭和四七年度(昭和四七年四月〜昭和四八年三月)で一か月平均内科が23.5人、眼科が17.3人、耳鼻科が20.4人、昭和四八年度(昭和四八年四月〜昭和四九年三月)で、内科28.9人、眼科40.3人、耳鼻科37.2人であつた。)、右検診の遅れが処分の遅れの最大の要因となつていた。

6 こうしたことから、被告は昭和四八年初めごろから環境庁との間に検診医の確保等認定業務促進に関する協議を進めたが、同年中は具体的方策が見出せないまま推移し、昭和四九年一月末になつて、環境庁から前述の有明海沿岸住民の健康調査に従事した各大学(熊本大学、鹿児島大学、九州大学、久留米大学、長崎大学)および国立病院(国立福岡病院、同大村病院、同熊本病院)に検診への協力を依頼するとともに、その協力方法について検討するための委員会の開催を提案され、被告と環境庁の共同で、同年二月右各大学の教授、病院の院長等を委員とする水俣病認定業務促進検討委員会を設置した。

そして同委員会は同年三月一日、二七日の二回開催され、その結果右各大学および国立病院の協力が得られることになり、その方法については同年四月一九日に開かれた小委員会で検討された結果、当面各大学の夏休みにあたる七、八月に集中検診を行い、同年九月以降の協力方法は右集中検診の過程で協議するとの方針が立てられ、五つの検診班(九州大学、久留米大学、熊本大学、長崎大学と鹿児島大学、水俣市立病院と前記各国立病院)が編成された。

その後、同年四、五月にかけて被告において各大学、病院と集中検診に関する具体的な日程、検診数などを打合せたうえ、四六〇人の検診をする予定で、同年七月一日から健診センターにおいて集中検診が実施され、同年八月末までの間に、内科四四四人、眼科三六四人、耳鼻咽喉科四一五人の検診が行われた。またこれと並行して九月以降同年一二月までの検診予定もたてられ、毎月一二〇人の検診をすることで右各大学、病院のおおむねの了解を得て、被告としてはこの態勢を継続することにより約二年間で滞留している申請を消化する見通しであつた。

7 ところが、右集中検診に対して申請者の間から、検診が杜撰ででたらめであるとの非難が起り、同年八月一日に原告らの一部を含む申請者らおよそ三〇〇人によつて水俣病認定申請患者協議会が結成され(その後同年秋には同会会員は約六五〇人に達した)、同協議会は被告に対して、集中検診に従事した医師の氏名公表、検診カードへの担当医師の署名捺印、集中検診の結果を審査会の資料として使用しないことなどを要求して交渉をくり返し、同年九月一一日には集中検診に従事した医師に対し直接「申入書」を送付し、さらに同年一〇月七日に九州大学、同月一六日に熊本大学にそれぞれ押しかけるなどの直接行動をとつたため、熊本大学からは一〇月以降、その他の各大学からは九月以降、検診への協力が得られなくなり、以後検診は審査会委員による再検診を除いては、後述する昭和五一年四月の再開まで行われなかつた。

8 一方、審査会は昭和四九年四月九日に第二期審査会の委員の任期が満了していたが、前述のように、当時は認定兼務の促進について前記各大学、国立病院から検診への協力を取りつけ、その具体的方法を検討していた最中であつたため、被告は、検診業務と審査との関連を考慮し、審査についても検診に関与する大学、病院に協力を依頼すべきものと考え、検診の具体的方法が決定された後に審査会委員の人選を行うことにして、集中検診の概要がまとまつた後である同年六月から委員の人選を開始した。

右人選に当つて、被告は、審査業務の促進強化をはかるという観点から、①審査会の開催回数を増やすために、従来の教授クラス中心の構成を改めて、助教授・講師クラスを中心とする委員構成にする、②検診に協力する各大学、病院からも委員を選ぶ、③定員一〇名の審査会委員の外に、新たに専門委員の制度を設ける、といつた基本方針のもとに人選を進め、就任の交渉にあたつたが、就任を拒否されることもあつて難行し、特に熊本大学医学部の神経精神科教室からの委員就任の了解が得られず、同年八月末、精神神経科の委員一名欠員のまま第三期審査会を発足させることにして、任命に関する所要の事務手続をとり、同年一一月八日に発足することになつた。

しかし、この審査会に対しても、前記協議会は、患者切捨てのための審査会体制であると非難して、同日被告に対して審査会の解散を求める申入書を手交したうえ、審査会会場にも押しかけて委員に対し公開質問状への即答を求めるなどの反対行動をとつたため、同日の審査会は流会となつた。被告はこの事態から、審査会の開催を強行しては検診と同様、委員の辞任等を招来すると判断し、協議会等申請者らとの話合いによる事態の収拾をはかることにし、その結果審査会は昭和五〇年四月の再開に至るまでついに開かれなかつた。

9 その間、昭和四九年七月一六日に、一七九人の申請者(うち三人は鹿児島県の申請者)から行政不服審査法に基づいて、水俣病認定申請にかかる被告の不作為の審査請求が提起され、同年九月二〇日および同年一〇月二四日の二回にわけて環境庁長官による裁決が下された。

右裁決では、①審査会からの答申を受けながら、被告が見通しもなく処分を保留している者、②審査に付されながら審査会において見通しもなく答申を保留している者、③審査会で一年程度の経過観察のうえ再検診再審査とされながら、一年程度を過ぎても再検診の行われていない者、④前記の水俣湾周辺地区住民健康調査の第三次検診あるいは熊本大学の第二次研究班の検診を受診していて、これらの検診結果と審査会が必要と認めた補足資料を用いることによつて審査が可能な者、⑤すでに死亡していて、新たな資料が得られる見通しもないのに保留されている者、の合計二七人について審査請求が認容され、その余の者については、未検診の者については、申請者の数と県の検診能力との関係からやむをえない、検診は終了したが審査に付されていない者については、次回以降の審査会で逐次審査に付されることとなつている、審査の結果、資料の不備等で再検査を必要とされた者および一年程度の経過期間をおいて再検診および再審査を必要とされた者については、水俣病の特異性、複雑性によるものでやむをえない、との理由でいずれも棄却された。

10 ところで、被告は申請から処分に至るまでに長期間を要していることから、申請者らからの要望もあつて、昭和四九年四月以降、申請者の中の、審査会の意見に基づき被告が医師の観察を必要と認めた者および審査会の答申があつて被告が認否の処分を留保している者に対して、研究治療費等の名目で、救済法の支給に準ずる医療費(自己負担分)、医療手当、介護手当の支給を行つていたが、昭和五〇年一月からは右支給対象者の範囲を拡げて、前項に述べた環境庁長官の裁決において④の理由で被告の不作為が認容された者および環境庁と協議のうえこれらの者と同一の条件にあるものとして別に定める者を対象者に加え、さらに同年四月からは、水俣市、芦北郡に五年以上居住し、申請後一年以上経過している者に対しても、医療費の自己負担分について支給する措置を講じた。

11 前記検診並びに審査の停止以後、被告は協議会その他の申請者の団体とその再開についての話合いを積み重ね、昭和五〇年一月には申請者に対してアンケート調査を行つて申請者らの意向を確かめるなどした結果、ようやく同年四月一九日から審査会を、昭和五一年四月から検診をそれぞれ再開するに至つた。

再開後も、審査会に対して協議会等の抗議あるいは申入れが度々なされており、その中で審査会は毎月一回、一回二日の日程で開催され、各回約六〇人から九〇人の審査を行つているが、慎重審査の方針から一回だけの審査で水俣病でないと判断することはせず、二回以上審査を尽して判断することにしており、また最近では典型的な症例が次第に少なくなつて医学的判断の困難な事例が多く、経過観察が必要なことから、審査件数の約七割が答申保留の状態である。

一方、検診については、被告は各申請者団体との話合いを通じて集中検診態勢に対する理解と協力を求めたが、各申請者団体とも、熊本大学以外の医師による検診に反対の立場をとり、特に協議会は検診医の検診カードへの署名捺印、診断書の発給といつた要求をくり返していたことなどからなかなか再開に至らず、ようやく昭和五一年一月一六日および三月二四日の話合いにより、熊本大学を中心とした検診の再開について各団体との合意が成立したため、同大学との折衝の後、同年四月から同大学を中心に再開されるに至つた。(なお再開にあたつて被告は同年五月一日健診センターを熊本県水俣病検診センターとして独立させ、所長に耳鼻咽喉科の医師で審査委員である訴外清藤武三を発令した。)

12 こうして現在では検診、審査とも一応は進められているが、その実態は集中検診以前と同様の熊本大学中心の検診態勢に戻つたにすぎないうえ、審査会で答申保留となる者が多く、それらの者の再検診も並行して行わねばならないことから、急速な処理は望みえない状況にある。

三次に水俣病認定業務の手続および内容についてみるに〈証拠〉、弁論の全趣旨によれば、水俣病認定申請に対する被告の処理手続および内容は概略次のようにして行われていることが認められる。

1  先ず、申請者が各市町村の窓口で認定申請書を提出し、各市町村から熊本県の公害保健課に申請書が送付されると、同課から申請者に対して受理通知が出される。そして同課では、検診医と打合せて検診計画を決め、それに基づいて当該申請者の検診の順番を検診センターに連絡する。

2  これを受けて検診センターでは、右検診医の検診の前に申請者を呼び出して、検診センターの職員の手で疫学調査および眼科、耳鼻咽喉科の予備的検査を行う。(なお疫学調査については、申請者の要望ならびに審査会の疫学面強化の意向から昭和五〇年五月以降、申請者の許に出向いて行つている。)

この疫学調査では、申請者本人から、出生地、生活歴、自覚症状の内容とその推移、既往症、昭和二〇年以降の食生活、職歴、家族の状況(認定者、申請者の有無など)、親類や近隣の認定者、家畜の様子、毛髪水銀測定の有無などについて聴取する。現在四名の職員がこれを担当しているが、その調査数は健診センターで行つていた当時で、職員一名当り一日に申請者三人程度を処理した。

次に予備的検査の中、眼科では、視力検査、視標追跡装置と電気眼振自動記録計による滑動性追従眼球運動検査および衝動性眼球運動検査、ゴールドマン量的視野計による視野測定を行い、耳鼻咽喉科では、オージオメーター、万能分析器、自記オージオメーター、電子スイツチ等を用いて純音および語音聴力検査を行う。これらの諸検査には、保健婦、看護婦、検査技師等の被告職員があたり、眼科、耳鼻咽喉科とも一日に六人程度の申請者の検査を行うことができる。

3  その後、検診計画に従つて、神経内科、眼科、耳鼻咽喉科の医師による検診、必要に応じて小児科、精神科の検診がなされ、さらに右各検診に付随して、レントゲン撮影、血圧、尿、血液等の検査、場合によつてはその他の臨床検査(脳波検査、筋電図検査、心電図検査、末梢神経の生検法による検査、知覚伝導速度検査など)が実施される。

これらの医師による検診によつて、知覚障害、言語障害、歩行障害、求心性視野狭窄、難聴、精神障害、振戦、けいれんその他不随意運動、筋強直等、また脂児性、先天性の場合には、知能発育遅延、言語発育障害、咀嚼嚥下障害、運動機能の発育遅延、協調運動障害、流涎等脳性小児麻痺様の症状の有無、有機水銀の影響、他疾患との関連について診断され、以上の諸結果をまとめて資料を作成し、審査会の審査に付される。

この医師による検診も検診センターで行われるが、各科の医師の要望もあつて各科別々になされるため、申請者は疫学調査、予備的検査とあわせて最低六、七回は検診センターに赴かねばならない。

4  なお申請者の中の高令者、重症者で検診センターに来ることができない者については、検診医の往診によつて資料が作成され(但し、機械的な諸検査はなされない)、死亡者については遺族の同意を得たうえで熊本大学医学部の第二病理学教室で解剖して資料を作成している。また、熊本県外在住の申請者については、被告は、岡山の川崎医科大学と検診の委託契約を結んでおり、希望者は同大学で検診を受けられるようになつているが、実際には水俣市で受診する者が多い。

5  こうして資料が整備されると、これをもとに審査会の審査に付され、その答申を得て、被告において認定または棄却の処分を行い、その結果が申請者に通知される。(但し、審査会で答申が保留された場合には、再度医師による検診を行つたうえで、再び審査に付されることとなる。)

四相当期間について

1 被告は本件処分をなすべき相当期間について、①水俣病に関する医学的判断の困難なこと、②認定申請者数の激増およびこれに対し検診・審査を担当する専門医が限定されていてその確保が困難なこと、③その他申請者側の受診拒否および原告らの反対行動による検診、審査業務の停止、などを理由として、水俣病の認定業務は本来的に長期間を要するものであり、かつ右の理由からしてその処分までに要する期間を特定することはできない旨主張している。

そこで検討するのに、現在、審査会において医学的判断の困難を理由に答申保留となる事例の多いことは前記二の11で述べたところであるが、〈証拠〉および弁論の全趣旨によれば、水俣病の発生当初は重症あるいは中等症の患者が多く存在し、臨床症状、病変とも際立つたものがあつたが、最近では視野狭窄、失調、構音障害といつたハンターラツセル症候群の主徴を備えた典型症例は少なくなつて、軽症の部類に属する者が多くなつていること、それに伴なつて、今まで看過されてきた諸症状が水俣病の病像との関係であらためて問題とされてきていること、これら軽症者についてはその症状の診断がむずかしく、特に老人性変化や合併症との関係、とりわけ脳動脈硬化症、脳軟化症、脳卒中といつた脳血管障害あるいは変形性脊椎症などがある場合には、その臨床症状が右のような合併症によるものか、それとも有機水銀の影響によるものか否かの判断が極めて困難であること、さらには合併症そのものが有機水銀の影響によつて起りうるものであるとする見解もあつて、未だ十分な解明がなされていないこと、そして、これらの点が本件申請にかかる検診および審査においても当然に問題となり、前記環境庁事務次官通知に示された基準によつても必ずしもその判断が容易なわけではなく、新潟県、鹿児島県における審査、処分と比較して、その認定基準の差異軽重などが論議されているような状況にあることが認められる。

また、申請者数の急増に対して検診ならびに審査に従事しうる医師が限定され、その確保が困難なことについては前示のとおりであり、従つて、被告の主張する前記①、②の事情はいずれもこれを肯定しうるものであつて、これらの事情によつて、本件申請の処理に要する期間が影響を受けることはやむをえないところであり、相当期間の判断においてもこれらの事情が勘案さるべきことは当然である。

なお被告はさらに、申請者の個別的な受診拒否や、前記協議会の反対行動による検診・審査業務の停止といつた事実もまた相当期間の判断の要素となる旨主張するのであるが、右の事実は本件申請の処理に関して当然に内包されるようなものではなく、むしろ相当期間の徒過を正当化する特別事情にあたるものとして、別個に考慮されるべきものであると解する。

2  ところで原告らは、新潟における水俣病の検診および審査の例や、川崎市、北九州市、四日市市における大気汚染による公害病認定業務の例をあげて、本件申請についての処分すべき相当期間は五〇日間であると主張するので、ここでこれを検討するに、〈証拠〉によれば次の各事実が認められる。

(1) 新潟における水俣病の検診は新潟大学医学部において、神経内科(一回目)――眼科、耳鼻科(必要に応じて整形外科、精神科、一般内科等)――神経内科(二回目)という順序で行われている。

(2) 各科の検診内容と所要時間についてみると、神経内科の第一回目の検診では、申請者から川魚摂取状況、頭髪水銀量、家族歴、既往歴、主訴、現病歴を聞いて、神経学的な診察が行われ、同時に血圧測定、検尿、首および腰のレントゲン検査(必要に応じて髄液検査、筋電図検査、脳波検査)もなされるが、以上の検診に要する時間はおよそ四〇分であり、また同科の第二回目の検診(第一回目の検診の約二週間後に行われる)では、右と同様の検診が一回目と異なる医師によつて行われる。

(3) 次いで眼科では、予診(所要時間約四〇分)として病歴、視力検査、立体視・色覚検査、一般眼科的検査をした後、フリツカー検査やゴールドマン視野計による視野検査(所要時間約六〇分)を行い、最後に教授による診察がなされるが、必要に応じてその間に各種の電気生理学的検査も行われ、申請者はこれら眼科の検診のために最低二回大学に赴く必要がある。

(4) 耳鼻科では、予診の後、聴力検査(純音聴力検査二〇〜三〇分、精密聴力検査三〇〜六〇分)、平衡機能検査(六〇分)、再度の聴力検査、血圧測定、精密聴力検査などが行われ、最後に診察(一〇〜二〇分)をして最終判断が出されるが、平衡機能検査は日を別にして行われるため、耳鼻科においても眼科同様最低二回の受診が必要である。

(5) これら各科の検診が終了して資料が整備されると毎月一回開かれる審査会の審査に付されるのであるが、神経内科の最初の検診から審査に付されるまでの期間は平均三、四か月であり、審査会の答申後二、三週間で処分がなされている。

原告らの主張は、右の新潟における各科の検診の所要時間を合算し、それに検診結果の整理期間として一週間、審査に付されるまでの期間の一か月などを加えて、五〇日間が処分をなすべき相当期間であるというのであるが、その主張は申請者の数の問題を考慮していない点で左袒しがたい。

即ち、前記三で述べた熊本における検診、審査の具体的内容と、右の新潟の場合とを比較すると、検診の順序、内容に多少の異同はみられるものの、純粋に検診や審査のみに要する時間については大差ないと考えられるのではあるが、しかし、そもそも、ある申請を受けて行政庁が何らかの処分をなす場合に、その所要期間が他の申請者の申請に対する処分も並行してなす関係からある程度の影響を受けるのが通例であり、まして前記二で認定したように本件においては、申請者が桁外れに増加しており、その処理には専門医師の協力が必要不可欠であるのに、その数が限られているといつた事情が存するのであつて、このような関係から被告が処分をなすまでの期間に影響を受けることはやむをえないところであり、相当期間の判断においても申請者数の問題は当然に考慮されるべきものであるから、原告らの右主張は現実を無視するものとして、これを採用しない。

このことは、原告らが例にあげている新潟においても、〈証拠〉によれば、昭和五一年一月末日現在で審査未了件数が五二二件あり、同年四月の時点では申請から検診を受けるまでにおよそ八か月を要している事実が認められることに徴しても明らかである。なお、水俣病の認定がさほど困難なものではないとする前記証人白川健一の見解は前記当裁判所の認定に反するのでこれを採用しない。

また原告らがいう大気汚染関係の事例は、本件申請とはその内容を異にする健康被害に関するもので、その場合の処理期間と本件の場合とを同一に論ずることはできない。

3  そこで次に、相当期間を特定しえないとする被告の前記主張について判断する。

およそ救済法は、公害被害者に対する迅速な救済をはかることを目的として制定されたものであるから、救済の前提となる認定処分が迅速に行われねばならないことは当然である。

即ち、同法による救済は具体的には医療費、医療手当、介護手当の支給という形でなされる(同法第一条)ものであるから、認定処分の遅延は同法による救済を受ける権利を実質的に否定する結果を招来するのみならず、被告の所論の如く、認定に要する通常の期間を特定しがたいものないしは期限の制限のないものとするときは、申請者が長期間にわたつて何らの処分を受けえない場合にも、行政庁に対する不服の道を閉ざされ、いわば泣き寝いりするほかないということになる。特に本件申請の如く水俣病の有無という人の生命身体にかかる重大かつ深刻な問題について、申請者らの不安定な状態を永続させ、さらに不服の道を閉ざすことは人道上からも条理上からも到底容認することはできない。

ところで、本件申請については、認定に関する本来的困難さや、申請者数の増加とこれに対する医師の不足という種々の隘路が存することは前判示のとおりであるが、このような事情を前提としても、被告がこれを理由として相当期間を特定しえないとの見解をとることは前記の理由から到底許されないところであり、被告には自ら相当期間を明らかにしてこれを主張立証すべき責務が存するのである。しかるに被告は右の責務を尽さないので考えるのに、前記二に述べた水俣病認定業務の経緯、特に第一期の審査会では申請後およそ一〇か月半、第二期の審査会ではおよそ一年で処分に至つていたこと、右第二期審査会の当初から処分の遅れが問題となつており、審査会の開催面等で促進の努力がなされたが、所期の効果はなく、その後更に申請件数が大幅に増加して未済件数は急増したこと、これに対して被告は健診センターを新設して、施設面での強化ははかつたものの、その他には昭和四九年二月に促進検討委員会を設置するまで殆ど実効的な対策を講じないままに推移し、同年一二月には未処分件数が二、〇〇〇件を越えるという異常な事態を迎えたこと、そのため被告は右促進検討委員会を足がかりとして、いわゆる集中検診態勢を整えてその処理をはかり、およそ二年間でこれを処理する見通しをたてたこと、そして被告自身救済法による救済に見合う代替措置として申請者に対し医療費等の支給措置を講じたが、その対象基準については申請後一年以上経過した者と定めていること、しかも水俣病の認定業務については、純粋に検診および審査のみに要する期間はわずか数か月であつて、その余の大半はいわゆる順番待ちの時間であるという状態などを勘案すれば、被告は、その主張する医学的判断の困難さ(再検診、再審査の必要な場合も含め)、申請者の増加、検診・審査担当医師の確保の困難というような事情を前提としても、本件処理につき通常必要とする期間を遅くも二年以内と想定したことがうかがえる。

しかしながら現時点における被告の今後の処理の見通しについてみるに、〈証拠〉によれば、今後毎月五〇人ずつの検診、審査(但し審査はすでに検診を終了して審査に付される順番を待つている申請者があるため、当分の間は概ね月に八〇人程度行うものとする。)がなされ、一回の審査で答申、処分がなされるものと仮定しても、昭和四九年八月末までになされた申請を全て処理するのに昭和五四年一〇月まで要することとなり、しかもこの見通しすら前述したように、審査会で答申保留となるものの数が七割も存する現状においては、これが大幅に延長されることは明らかであり、そのうえ昭和四九年九月以降の新たな申請者が一、〇〇〇人を越えることを考慮に入れるときは、被告の前記見通しは殆ど画餅に帰するものというべく、被告が本訴において相当期間を特定しえない理由もまた右に起因することは明らかである。

以上によれば現在被告は全く処分の見通しを立てえない状態にあるというべきである。

4 およそ不作為の違法確認の訴えは、申請者らの地位の不安定を早急に解消することを目的とするものであり、右訴えにおける相当の期間とは、行政庁が当該処分をなすにつき通常必要とする期間を基準として、既に右期間を徒過した場合には特別の事情のない限り行政庁の不作為を違法とするものであることはいうまでもない。しかしながら、未だ必ずしも相当期間を経過していない場合といえども、次の如き場合、即ち、①申請後ある程度の期間を経過したにもかかわらず、行政庁が将来いかなる時期に処分をなすかが全く不確定・不明であり、②かつ右処分に至るまでの期間が相当期間を経過することが確実であり、③しかも以上の状態が解消される見込みがない場合においても、申請者らの地位の不安定は、既に相当の期間を経過した場合と異なることなく、このような場合には、行政庁の措置(不作為)を違法と解するのが相当である。

そこで本件についてみるに、本件各申請が遅くも昭和四九年八月末までになされていること、および被告がその認定業務の相当期間を二年と想定していたことは前記のとおりであるところ、右に対する被告の処理計画が画餅の如きものであり、被告自らも相当期間を特定しえず、かつ今後処分がなされるまでに被告の想定した前記期間をすら経過することが確実であり、このような状態が解消される見通しもないことは前説示のとおりであるから、以下に判断する特別事情の認められない限り被告の本件不作為は違法と認定せざるを得ない。

5  なお、被告は行政庁の故意・怠慢等による違法な不作為のみが不作為の違法確認の訴えにおける違法に該当すると主張するけれども、右訴えに関する当裁判所の判断は前示のとおりであるから、被告の故意・怠慢等の有無について判断するまでもなく、当裁判所は被告の右主張を採用するものではない。

五処分遅延の特別事情について

1 被告は本件申請に対する処分が遅延していることを正当化する特別事情としても、①水俣病についての医学的判断が困難なこと、②申請者の激増およびこれに対し検診・審査の担当医師の確保が困難なこと、③原告らを含む協議会の反対行動により検診および審査業務が停止していたこと、④申請者の個別的な受診拒否のあつたこと、を主張するかの如くであるので検討するのに、右②については相当期間の判断の一要素であつて、別に特別事情として解すべきものでないことは前示のとおりである。

2 そして①については、特定の申請者につき他の申請者と比べて特段に医学的判断が困難であるような場合には、その処分につき相当期間を経過しても違法たることを免れるというべきではあるが、特定の原告について特段の医学的困難があるとの点については被告に主張立証がない。

3(一)  次に③の検診および審査業務が停止するに至つた経緯については二の7、8で述べたところであるが、さらに検討するに、〈証拠〉によれば次の各事実が認められる。

(1) 協議会の結成以前には申請患者の団体として被害者の会が存したが、協議会はこれとは別に、集中検診に対する不満や、従来から水俣病の調査研究にあたつてきた熊本大学二次研究班のメンバーが集中検診の検診医に入つていないこと、第二期審査会の任期満了後も第三期審査会の審査委員が決まらないままであることなどから、国や被告による水俣病患者切捨ての不安を抱いていた申請者らによつて、申請者自身の行動により納得しうるような水俣病認定制度の革新を目指すという理念のもとに結成されたものである。

(2) 同協議会は結成後ただちに被告に対して集中検診についての責任所在の確認、検診担当医の氏名公表、検診カードへの医師、検査者の署名捺印、診断書の発行、集中検診資料を審査会で使用しないことなどを要求して、昭和四九年八月二日、同月一二日、同月二九日、同年九月六、七日と交渉をくり返したが、いずれも協議会側は多人数で押しかけて被告職員に要求や抗議をつきつけるるいうものであつた。

特に第四回目の九月六、七日の交渉は事前の連絡もなしに協議会から一五〇人以上、支援のグループを含めて約二〇〇人が押しかけて、被告職員側の都合を無視して、一方的に六日の午後一時半から始められ、翌七日の午後一時すぎまで徹夜で行われたものであり、交渉途中においても被告職員に灰皿、湯呑などが投げつけられ、ノートやカメラのフイルムが奪い取られるなどの暴力的行為がみられ、さらに被告の公害対策局長が倒れて救急車で入院するといつた事態まで発生し、同月一四日には右事態を重視した熊本県議会において暴力および暴力的行為の徹底排除の決議がなされるに至つた。

こうした経過の中で被告は協議会に対して、検診カードへの署名捺印にかえて検診医にネームプレートを着用させること、集中検診の資料で棄却の判定があつたときには直ちに棄却処分をせずに、再度見直し検診を行う(ダブルチエツク)等の回答をしたが、協議会はこれに納得せず、同月一一日には促進検討委員会の座長をした訴外黒岩義五郎および集中検診に参加した各大学、病院の医師に対してその責任を追求する趣旨の申入書を送付し、被告に対しては申請者個人の連名で各科医師に対する診断書発行要求の取次を求める申入書を提出した。

このため、この頃から前記各大学、病院の医師の間から検診医辞退の意向が表明されるようになつたが、その後さらに同年一〇月七日に協議会が九州大学の神経内科、眼科、耳鼻科の研究室や病棟に押しかけて直接医師に対して申入書への回答を迫るといつた事態が生じた(協議会はこの他に同月一六日に熊本大学の第一内科に、同年一一月六日に九州大学の神経内科にそれぞれ押しかけている)ため、一〇月一一日までの被告の調査に対して、すべての大学、病院から右のような状態の続く限り検診医を辞退する旨の回答が寄せられて、結局検診業務は完全に停止するに至つた。

(3) また審査会についても、協議会は、第三期審査会は熊本大学二次研究班のメンバーを排除した黒岩体制による患者切捨てのための審査会であるとして、その解散を要求し、同年一一月八日の第三期審査会の初会合に多人数で押しかけて、審査会開催に備えて待機していた審査委員に公開質問状を手交してその回答を迫つたため、被告はその収拾をはかるべく前記川本輝夫と電話で協議した結果、同日の審査会は辞令交付、正副会長選任、被告の挨拶だけとする、五名から一〇名程度の者の傍聴を認める、審査会の妨害はしないとの合意ができたことから、審査会を開こうとしたところ、協議会は右の合意に反して約五〇人が会場に乱入し、他に約四〇人が会場周辺の廊下に座り込むなどして再び審査委員に対して、辞令の交付前に前記公開質問状への回答をするよう要求した。

このため審査委員の側から、右の状態では辞令交付を受けるわけにはいかないとして、同日の審査会は流会とする旨決せられ、以後被告は事態の解決をみないままに審査会の開催を強行することは、検診と同様に審査委員の辞任を招くおそれがあり、また騒然とした中で審査会を開くことは審査の性格上も好ましくないとの判断から、審査業務も停止するに至つた。

(4) その後被告は検診、審査の再開を目指して協議会その他の申請者の団体と話合いを積み重ね、審査会については、再開しても当分は認定しうる者、重症者等を早く救済するということにし、棄却処分は行わないという意向を被告が表明するなどして昭和五〇年四月に再開されたが、検診については、被告が大量の申請を処理するためには集中検診態勢によらざるを得ないとするのに対し、協議会を含め申請者らの団体はすべて集中検診態勢に反対し、熊本大学中心の検診や健診センターへの各科医師の常駐などを主張し、また協議会は前記検診カードへの署名捺印、診断書の発行を要求して譲らず、同年一〇月になつて、被告側がとりあえず熊本大学中心で検診を再開してその後で九州の各大学の協力を得ていく、検診カードの署名捺印についてはネームプレートの着用で替え、診断書の発行については、早急に治療の必要のある者に対しては検診の際に必要な指示を行うこととする旨の再開案が出され、この案をもとに申請者各団体および熊本大学と協議、折衝して、昭和五一年三月に再開についての合意が成立し、同年四月から再開された。(なお、ネームプレートについては医師間の意見がまとまらないという理由で着用していない。)

〈証拠〉中、以上の認定に反する部分は前記各証拠に照して措信しがたい。

以上の事実からすれば、検診業務が昭和四九年九、一〇月から、審査業務が同年一一月から停止するに至つたその原因の一半は、協議会の一連の、集団による抗議・妨害行動にあるものと認めざるをえない。

(二)  そして、〈証拠〉および弁論の全趣旨によれば、協議会には役員として、会長、会長補佐、会計、会計監査、各部落の世話役の定めはあるが、会員に関する明確な定めはなく、会員名簿も存しないこと、実質的な会員の把握は各部落の世話人を通じてなされているが、会員であるか否かの判断は結局協議会自体としても、不作為の審査請求等協議会のなす行動に賛同して参加する者を会員として考えていること、そして本件訴訟も右協議会の活動の一環としてなされているものであることが認められるところであり、これからすれば、本件訴訟に加わつている原告らは協議会の会員であると推認でき、これを覆すに足る証拠はない。

(三)  原告らは、協議会のこの行動は従来からの被告の水俣病被害者救済に対する消極的な姿勢に加えて、昭和四九年二月になつて被告が、各地の公害や企業災害に関して常に企業側に立つてきた前記黒岩義五郎を座長とする促進検討委員会を設置したこと、第二期審査会の任期が終了したにもかかわらず、直ちに第三期審査会を構成しなかつたこと、促進検討委員会が計画した集中検診においてそれまで水俣病の検診に従事したことのない者が申請者を検診し、しかもその仕方が乱暴ででたらめであつたこと、これらの問題に関して協議会が被告に提起した疑問について被告が何ひとつ納得しうる回答をしなかつたこと、そして第三期審査会の人達が前記促進検討委員会の意見を重んじてなされたことなどによる不信感、不安感から行われたもので、その責任は申請者らの不安を取り除けなかつた被告の側にあると主張する。

もちろん原告らのいう右の諸点について、申請者が被告に質し、被告のとつた措置を批判して、様々の要求をなすことが一概に不当とはいえないが、しかしながらその方法において、前述したように相手方の立場を考慮することなく、集団を背景に面会、交渉を強要したうえ、実力によりその業務を妨害し、剰え暴力的行為をなすに至つては、いかなる理由があるにしても到底是認しうるものではない。

(四)  ところで被告は検診および審査業務の停止の責任が、全て集中検診態勢に対する原告らの反対行動に起因し、被告にその責のない旨を主張するので検討するのに、前記原告らの行動が到底これを是認することのできないことは前説示のとおりであつて、被告の認定業務が原告らの右行動により著しく阻害されたことはいうまでもない。

しかしながら原告らの行動により被告の認定業務が完全にその機能を失墜した(いわば履行不能になつた)と認定することはできず、またたとえ一定の時期において行政の機能が麻痺するような事態が発生したとしても、そのまま放置することなく早急な解決を図ることは行政の義務であり、そこで問われるのは行政の対応のあり方であることはいうまでもない。

本件についてみるに業務の停止から再開に至るまで一年有余にわたり何らの進展をみることなく推移し、しかもこれを以つてその責任のすべてが原告らにあり、被告に一切その責はないとする被告の見解は行政の責任を自ら放棄するものであつて、このような被告の主張は失当というほかない。

従つて、前記検診および審査業務の停止をもつて現在の、処理見通しも立たない混迷した状態をやむをえないものとする「特別事情」と認めることはできない。

(五)  なお被告は第三期審査会の発足が遅れたことについても、検診促進策の検討を待つて審査委員を任命することとした為、やむをえなかつた旨主張するが、これはそもそも第二期審査会の任期満了を控えての被告の対応の遅れに起因するものであつて、その結果をすべて申請者の不利益に帰せしめることはできない。

4  最後に④の、個別的な受診拒否者について検討する。

(一) 原告福山敏行について

右原告について被告は、昭和四九年一〇月に眼科と耳鼻科の予備的検査のため健診センターに呼出を受けながら、電話連絡で受診を拒否した旨主張するが、〈証拠〉によれば、同原告はその後昭和五〇年一一月二八日に予備的検査を、昭和五一年三月一八日にレントゲン検査をそれぞれ受けており、医師による検診は早くとも昭和五二年三月になること、右医師による検診の予定は本来の申請の順番によるものであつて、同原告の受診拒否によつて遅くなつたものではないことが認められる。従つて同原告について未だ処分がなされていないことはその受診拒否によるものということはできない。

(二) 原告山下久美子について

同原告について、被告は、昭和五〇年五月に眼科と耳鼻科の予備的検査のための呼出を受けながら受診しなかつた旨主張する。そして〈証拠〉によれば同原告に対する検診は全くなされていないことが認められるけれども、同原告が一度の呼出に応じなかつたことから直ちに検診を受けることを拒否しているものと即断することはできず、他に受診拒否の事実を認めるに足る証拠は存しない。

(三) 原告田上信義、同田上英子について

〈証拠〉によれば、右原告らは昭和四九年九月二六日に被告から眼科および耳鼻科の予備的検査の呼出を受けたが、これに対して「現在の検診医の責任回避のもとでの検診に対し、今回は受検致しません」との文書を提出して受診を拒否したことが認められる。

しかしながら、〈証拠〉によれば、その後原告田上信義は昭和五〇年九月六日に、同田上英子は同月一七日に、いずれも疫学調査に応じていることが認められ、また〈証拠〉によれば原告田上英子の医師による検診の予定は昭和五一年一〇月であつて、これは同原告の右受診拒否によつて遅れたものではなく、本来の申請順によるものであることが認められる。

一方原告田上信義についても、〈証拠〉によれば、同原告が前記熊本大学の第二次研究班の検診を受けていたことから、その資料によつて昭和五〇年九月の第二七回審査会で審査に付された結果、答申を保留され、再検診が昭和五二年八月頃になることが認められる。

従つて、前記福山敏行と同様に、両原告についても、その処分が未だなされていないことが、受診拒否によるものということはできない。

(四) 原告木下日出人について

同原告について被告は、昭和四九年八月に検診を予定していたが、仕事で沖縄県に長期滞在していたために受診しなかつた旨主張する。

〈証拠〉によれば、同原告は一時受診できなかつたものの、昭和五〇年一月に疫学調査と予備的検査を受け、同年二月には内科の検診、昭和五一年四月に脳波検査と精神科の検診、同年五月に耳鼻科と眼科の検診をそれぞれ受けていることが認められ、従つて仮に仕事で沖縄県に滞在していて受診できなかつたことによる遅れを同原告に負担せしめるとしても、その期間は昭和四九年八月から昭和五〇年一月までのおよそ五か月間に限られるものであり、しかも右の期間は前述したように検診、審査が停止していた期間であることからすれば、昭和四八年四月二六日に本件申請をなした同原告に対する処分が今日までなされないでいることについて、右の一時期に受診しえなかつたことが実質的な影響を及ぼしているものとは認められない。

以上、被告が受診拒否者として主張する右原告らの中、原告山下久美子については受診拒否とは認めがたく、またその余の原告らについては、その受診拒否が同原告らに対する処分が今日までなされていないことの実質的な理由とは認められず、いずれも処分遅延を正当化する特別の事情と考えることはできない。

六なお被告は、認定業務の促進のために予算および組織面を充実させ、また一部の申請者に対してはほぼ救済法に準ずる医療費等の支給措置を講じるなど、様々の努力を払つてきた旨主張する。

その中、昭和四八年七月に水俣市立病院に健診センターを設立し、昭和五一年五月からは同センターを熊本県水俣病検診センターとして独立させ、耳鼻咽喉科の医師を所長に発令したこと、認定業務促進検討委員会を設置して集中検診を実施したこと、審査会の開催回数を増やし、専門委員制度を設けたこと、そして医療費等の支給措置を講じたことはすでに述べたところであり、〈証拠〉によれば、昭和四九年二月に被告の公害対策局に医師の資格を有する職員を医療審議員として配置したこと、そして本件認定業務を担当する被告の部課および職員数、認定業務に関する予算が被告の主張のとおりに増員、増額されていることが認められる。

被告は右のような事実は、被告の本件不作為に違法性のないことの重要な事情であるというけれども、前示にかかる本件認定業務の経緯からすれば被告の右のような努力はむしろ当然なすべきものというべく、右の努力をもつてしても被告の責任を免れしむるに足るものではない。

第三以上のとおりであるから原告らの本訴各請求については、すでに処分のなされた別表(一)記載の原告らについてはその訴えを却下することとし、その余の原告らについては、別表(二)記載の者がなした本件各申請に対する被告の不作為はいずれも違法であるのでその請求を正当として認容することとする。

そして訴訟費用の負担については、すでに処分のなされた原告らについて民事訴訟法九〇条を適用することとし、その余の原告らについては同法八九条を適用して、いずれも被告の負担とする。

よつて主文のとおり判決する。

(松田冨士也 関野杜滋子 西島幸夫)

当事者目録

(原告ら)

水俣市袋三五〇番地の八

1 原告 松本弘

ほか四〇九名

右原告ら訴訟代理人 後藤孝典

同 崎間昌一郎

右後藤孝典訴訟代理人 藤沢抱一

(被告)

熊本市水前寺六丁目一八番一号

熊本県知事

被告 沢田一精

右指定代理人 田中貞和

同 武田正彦

ほか六名

別紙(一)〜(四)〈省略〉

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